『三千円の使いかた』ロングヒット中の原田ひ香が語る小説家への奇跡の連鎖「専業主婦だった頃、帯広の図書館で妖精に会ったんです」

原田ひ香 撮影/三浦龍司

『一橋桐子(76)の犯罪日記』(NHK総合)や『三千円の使いかた』(フジテレビ系)など、近年、作品のドラマ化が著しい小説家の原田ひ香さん。秘書勤務や専業主婦を経て、文章を書き始めたのは、30代半ばのことだった。そんな原田さんのTHE CHENGEとは。【第1回/全5回】

夫の転勤で秘書を辞め、帯広で専業主婦に

2007年に『はじまらないティータイム』(集英社)でデビューして以降、1年に2冊以上のペースで作品を書き上げている原田ひ香さん。ここ数年は特に精力的で、’21~’23年は『ランチ酒 今日もまんぷく』(祥伝社)や『古本食堂』(角川春樹事務所)、『喫茶おじさん』(小学館)をはじめ9冊もの著書を上梓している。小説家としてゆるぎない仕事ぶりの原田さんだが、書くことを仕事にする前は、専業主婦だった。

「CHANGEはいくつかあるけど、いちばん古いCHANGEは、30歳のとき。結婚のタイミングで夫の転勤にともなって、秘書の仕事を辞めて北海道・帯広市に移ったときですね」

それまで東急東横線沿線にしか住んだことがなかったが、とつぜん、縁もゆかりも、遊びに行ったことすらない帯広へ。当時の仕事であった秘書業の引き継ぎを終え、退職し、夫に遅れること3か月後の11月、氷点下の世界に降り立った。

「ものすごく暗くて、すごく寒くて。一度雪が降ったらGWまでガッチガチに溶けないような場所で。そこから人生がガラリと変わりました」

帯広での生活はシンプルだった。移住後に自動車免許を取得したもののほとんど運転せず、毎日歩いて買い物に行き、料理をする日々。

「いま思うとなにをしていたんだろう、と思うくらい。移住する前、ほんの少しだけ東京でフリーライターの学校に通っていたこともあって、家でシナリオをちょっと書いてみたりするくらい……」

と言いかけたところで、なにかを思い出したように「あ、図書館」と声をあげる。

「北海道の図書館ってめちゃくちゃ小さくて。2階建ての小さなビルで、ワンフロアは学校の教室2つ分くらいの広さかな。そこへ歩いて行けて。村上春樹さんの新刊が出ると、都会だと何十人も待ちがあるじゃないですか。でもそこは来る人があまりいないから、借り放題でした」

帯広の図書館での“妖精”との出会い

いまでも覚えていることがある。原田さんがいつものように図書館で本を読んでいたときのこと。ひとりの老人が近づいて来て、こう話しかけたという。

「横山秀夫って知ってる? めちゃくちゃ面白いよ」

上毛新聞の記者を12年間務めたのち、’91年に『ルパンの消息』(光文社)でサントリーミステリー大賞佳作を受賞しデビューした横山秀夫は、直木三十五賞にノミネートされた『半落ち』(講談社)や山本周五郎賞候補となった『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋)をはじめ、『臨場』(光文社)や『64』(文藝春秋)など映画化・映像化作品も多いベストセラー作家だ。

「いきなりそう言われて、“えっ、そうなんですか?”って。“あの人はね、新聞記者だったんだよ。だからめちゃくちゃ面白いんだよ”と言って、ふらっとどこかに行ってしまったんです。そこで横山さんを知って初めて読んでみたら、おじいちゃんが言うとおりめっちゃおもしろかった。おじいちゃん、なんだか図書館の妖精みたいだな、と思いました」

思いがけない出会いにより、さらにのめりこみ、本は生活に欠かせない必需品となった。そんな日々のなかで思い立ち、シナリオを書き始めるのだ。

「結婚してすぐのころ、まだ東京にいたとき、夫に言われたんですよ。“一生続けられるような、趣味でもいいしボランティアでもいいし、仕事につながることでもいいから、そういうのを探してみたら?”って。なぜそんなことを言ったかといえば、料理研究家の方の話を雑誌で読んで、なにか感銘を受けたようでした」

初めての作品がまた次のチャンスへつながる

秘書の仕事は「一生続けられるような感じではなかった」と自覚していた原田さんは、前述のとおりフリーライターの学校に通い始めたのである。

「そのあとすぐに帯広に来ることになったので、じっくり学べなくて。でも北海道に来てからも、ずっとなんとなく頭の中にあったんですよね。それで、当時は黎明(れいめい)期だったインターネットで『元シナリオライターが教える、シナリオの書き方』みたいなホームページに行き着いて。それを読みながらシナリオを書いてみたんです」

初めての作品をフジテレビ主催のヤングシナリオ大賞に応募した。すると、初めてにしていきなり最終選考に残ったのだ。これまで蓄積された読書歴の存在を、背景に感じざるを得ない。

「その3年後、東京に戻ることになって。ちょうど同じタイミングでフジテレビさんからご連絡をいただいたんです。“ここ何年かで最終選考に残った人に声をかけているんです。うちに企画を出してみませんか?”と。またそれから数年後、今度はラジオドラマのシナリオ『リトルプリンセス2号』でNHKさんから賞をいただいたりして、NHKさんとつながりができて。さらにTBSさんの子会社とつながり、企画会議に出るようになりました」

読書好きの専業主婦の人生を一変させたのは、図書館の妖精であったかもしれないし、夫の言葉かもしれないが、そられと比べものにならないほど大きな要因は、原田さん自身の「書きたい」というエネルギーであることには、間違いない。

原田ひ香(はらだ・ひか)
1970年生まれ、神奈川県出身。’05年、『リトルプリンセス2号』で第34回NHK創作ラジオドラマ大賞受賞。’07年、『はじまらないティータイム』(集英社)で第31回すばる文学賞を受賞。’18年に上梓した『三千円の使いかた』(中央公論新社)がロングヒットを記録し、’22年時点で累計発行部数90万部を超え、’23年に第4回宮崎本大賞を受賞した。最新作は、定食屋を舞台にした心に染みる人間物語『定食屋「雑」』(双葉社)。

© 株式会社双葉社