体操・杉原愛子は2大会連続五輪出場も「私はセンスや才能がある方じゃない」の真意【パリ五輪を目指す注目女子アスリートの履歴書】

東京五輪の際の杉原愛子(C)共同通信社

【パリ五輪を目指す注目女子アスリートの履歴書】

杉原愛子(24歳/株式会社TRyAS)=体操

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大阪府東大阪市で兄と姉に次ぐ末っ子として育った。4歳から地元のスポーツクラブで体操を始めたのは、先に習っていた姉の影響だ。当時のことに話が及ぶと、杉原は苦笑混じりにこう話す。

「先生が中国人の方で、毎回柔軟に1時間くらい費やしていました。前後開脚の時は身長幅に置いた高さ30センチほどの台座2つにそれぞれ足を乗せて、後ろ手で台座を掴んだまま10分間キープとか……。涙を流しながらやっている写真も残っていて。おかげで体は柔らかくなりましたけど、もし私が幼児に教えることになっても『中国式』は避けると思います(笑)」

両親ともに体操経験者。父の勝さんは日体大出身、母の智里さんは社会人でも体操を続け、引退後は審判員として活躍した。杉原が小学生の頃は、父や姉と自宅のベッドの上で宙返りをして遊んでいたそうだ。

そんな体操一家だが、意外にも家庭内で特別なレッスンはなく、「大きくなってから両親の経歴を知ったくらい」と杉原。

漠然とではあるが五輪に憧れて小学4年時に羽衣体操クラブ(大阪・泉大津市)に移籍すると、同2009年全日本ジュニア(Bクラス)で初めて全国大会を制した。以降、国内主要大会で成績上位の常連となり、13年に日本ジュニア代表入り。15年から日本代表に選ばれると、翌16年リオ五輪から21年東京五輪までの間、最前線に立ち続けた。

体操界の申し子とも言える活躍ぶりだが、「私はセンスや生まれ持った才能がある方じゃない。足りないものは努力で補ってきました」と、こう話す。

「他の人が1カ月で習得した技でも、私は1年かかることもありました。けっこう不器用なんです。でも、それ以上に負けず嫌い。末っ子だからですかね(笑)。時間がかかっても出来るようになるまで諦めたくなくて。裏を返せばそれだけ1つの技を磨き続けてきたわけで、マスターした技の安定性は強みですし、積み重ねた練習量は自信に繋がっています。本当に質より量でしたから」

厳しい練習に心は耐えられても体は何度も悲鳴を上げた。15年に右膝、18年に左膝、20年に右足首、21年は再び左膝を手術した。杉原の体操人生はケガとの戦いと言っても過言ではない。

「20年に手術をした際は、リハビリが終わるまで親しい他の選手にも黙っていました。これも、負けず嫌いな性格ゆえです」(つづく)

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