高橋由伸超えの快挙も…恩師から「何で出たんや」 元ドラ1が待ち望む“名前が消える日”

興国高校で監督を務める元ロッテ・喜多隆志氏【写真:橋本健吾】

慶大時代にシーズン最高打率.535をマークした喜多隆志氏、現在は興国高校の監督を務める

元ロッテのドラフト1位・喜多隆志氏は現在、興国高校(大阪)で監督を務めている。激戦区・大阪で6年目の“シーズン”を迎え、100人を超える生徒と汗を流す日々を過ごす。プロでは結果を残すことができなかったが、慶大時代には今もなお破られない大記録を打ち立てている。

東京六大学のシーズン最高打率.535。過去には長嶋茂雄(立大)、岡田彰布(早大)、高橋由伸(慶大)、鳥谷敬(早大)ら、プロ野球の世界で活躍した名選手でも届かない大記録だ。そんな中、2001年秋季リーグで43打数23安打と、打ちに打ったのが慶大の喜多だった。

「早く誰か(記録を)破って、というのが本音ですね(笑)。プロで活躍していたら箔は付きますけど、僕はプロ野球界で何もしてない。僕は過去に興味がないというか、この先どうするべきか、今なにができるのかということに興味を持っているので。でも、あの時を振り返ると、ボールが止まって見えるじゃないが全てがスローモーションに感じ打席の中でどの球に対してもアプローチができました」

高校時代は和歌山の名門・智弁和歌山で2年時に選抜準優勝を果たすと、3年時にはチームを夏の甲子園初優勝に導いた。慶大に進学後も1年春からレギュラーとして出場。俊足好打の外野手は最上級生となった2001年にはドラフト上位候補として注目を集めていた。

春季リーグ戦ではケガもあり打率1割台と低迷し、その後も約3週間入院するなど「不安のなかでの秋リーグでした」と振り返る。1か月以上、練習もできない状況だったが「ある意味、開き直った」と、プレッシャーから解放されると安打を量産。すでに優勝を決めていた最終節の早慶戦を前に、打率は驚異の.618を叩き出していた。

智弁和歌山の恩師・高嶋監督から「なんで最後まで出たんや! 6割なら一生名前残るぞ」

ライバル・早大との1回戦では相手先発・和田毅(ソフトバンク)の前に無安打に終わる。それでも2回戦で複数安打をマークするなど、最終的には歴代最高打率.535の金字塔を打ち立てた。「(智弁和歌山時代の恩師)高嶋先生からは『なんで最後まで出たんや! 6割なら一生名前残るぞ』と言われましたけど(笑)。僕の中では出ないという選択肢はなかった」と振り返る。

智弁和歌山、慶大で結果を残し周りからは“センスの塊”と言われたが、本人はそれを否定する。

「金属打ちを自覚していたので、高校の時はこのままではプロで通用しないと自覚していた。本当にいっぱい練習しました。夜中になってもバットを振って、練習をしないと寝れない。高校の時は雨の時ほど嬉しかったですよ。周りが休んでいる時に『俺しかやってない』と思えた。大学も全体練習は2、3時間。あとは個人でどれだけやるか。目標に向かって逆算する。指導者になっても大切にしていることです」

卒業後はドラフト1位でロッテに入団するも、プロの壁は高く現役生活はわずか5年間で終止符を打った。プレーヤーとしては酸いも甘いも経験したが、もう一つの夢であった指導者として、今も充実した時間を過ごしている。教え子も増え、最近では嬉しい連絡があったという。

「明大に進学した今秋のドラフト上位候補でもある浅利太門から『宗山(塁)が抜くと言ってましたよ』と教えてもらいました。彼は侍ジャパンにも選ばれるほどの選手。プロにいっても活躍できるから、早く記録に残したほうがいい」

名だたるスーパースターを差し置いて、東京六大学最高打率に君臨する男は、教え子の報告に照れ笑いを浮かべる。「嬉しいかったですね。僕のは運で掴んだもの。彼は本物ですよ」。いつか、自分の名前が消えることを楽しみに待っている。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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