名作の陰にピート・ドクターあり! 傑作『ソウルフル・ワールド』を劇場で観るべき理由

忙しさに追われて最近夜空しか見ていないなという時も、逆にやることが本当はあるくせに何もできなくて無感情のまま携帯の画面をスクロールしている時も、なんだかもったいない気持ちになる。人生の時間を無駄遣いしている気がしてしまうのだ。でも大人になるにつれて器用に時間が使えるようになるどころか、ただその無駄遣いに自覚的になるだけで、もっと苦しい気持ちになる。その苦しさで息継ぎができなくなりそうになる時、ディズニー&ピクサー映画『ソウルフル・ワールド』を観るたびに心が落ち着くのは自分だけだろうか。

■大人にこそ刺さり続けてきたピクサーの凄さ

ピクサー作品といえば、子供の頃から自由で独創的な世界観を魅力に感じ、大人になって観ると、よりその“深さ”に涙腺を刺激されるようなものが多い。中でも大人向けに感じる『ソウルフル・ワールド』を監督したピート・ドクターは、ピクサーの“泣かせ番長”のような存在だ。

ピクサー・アニメーション・スタジオの原点とも言える『トイ・ストーリー』の原案を担当し、『モンスターズ・インク』で監督デビュー、そして『カールじいさんの空飛ぶ家』と『インサイド・ヘッド』、『ソウルフル・ワールド』でアカデミー賞長編アニメーション賞を獲得し、現在はピクサーのトップとなるチーフ・クリエイティブ・オフィサーとなったドクター。そのほかにも、『ウォーリー』や『トイ・ストーリー』シリーズ、そして『ソウルフル・ワールド』と同じく劇場公開された『あの夏のルカ』と『私ときどきレッサーパンダ』、第96回アカデミー賞長編アニメーション賞ノミネート作『マイ・エレメント』など、ピクサーの泣ける名作の陰には、彼がいる。

そんなドクターが手がけてきた作品の中でも、『ソウルフル・ワールド』はやはり人気が高く、ディズニープラスでの配信当時は、劇場公開を強く望む鑑賞者の声も多く上がっていた。

主人公のジョー・ガードナーはジャズ・ミュージシャンを夢見ながら中学校の音楽教師をしている。非常勤だったが、ついに正式の採用の誘いを受けるも、夢追い人の彼にとっては良いニュースなのか悪いニュースなのかわからない。しかしちょうどそんなタイミングで、ニューヨークで最も有名なジャズ・ミュージシャンとクラブで演奏する機会を得る。夢への切符を掴んだと張り切るジョーだったが、浮かれて街を歩いている最中にマンホールに落ちてしまった……という、ビター味溢れるあらすじとなっている。でも大丈夫、ピクサー作品なのでそんな救いのない物語にとどまらず、ジョーはなんと魂として“ソウルの世界”に迷い込んでしまうのだ。

■全ての瞬間を味わうことの大切さを説く傑作として

本作の面白さは、一見「ぼんやり生きているうちに気がつけば死んでしまったら悔いが残るから、無駄のないように生きなさい」という教訓映画に思えて、実はそうではないところだ。ジョーはソウルの世界で、人間は生まれる前に性格をカウンセラー・ジェリーに区分けされ、「人生のきらめき」を見つけてから生を得る(地上に向かう)システムを知る。しかし彼はそこで、人間が嫌いで、何百年も生まれることを望んでいないソウル22番に出会う。地上に戻るために通行証が必要なジョーと、通行証がいらない22番の利害が一致して始まる彼らの冒険は、『カールじいさんの空飛ぶ家』で描かれたような“大冒険”ではない。しかし、ジョーがソウルの世界に迷い込む時の表現、そして22番がジョーの体を借りて体験する地上の風景の“新鮮さ”は、映画館の大きなスクリーンで堪能してほしい。

この映画が配信後から絶賛され、アカデミー賞を受賞するに至った理由は、この映画を映画館で観たい理由と直結している。ドクターは当初、本作を配信用ではなく劇場公開作品として制作していた。つまりそれは、この作品が大きなスクリーンで観るために設計されていることを意味する。コロナ禍の影響で当時はそれが叶わなかっただけで、ようやく本来のこの映画の楽しみ方ができるのだ。ピクサーの生み出す世界観はいつも独創的だが、特に本作の「ソウルの世界」や死後の世界までの階段、地上へ向かう亜空間は真っ暗な宇宙の中に描かれているようで、大きなスクリーンに映し出されたそれを劇場の暗闇に溶け込んで観ると、自分もその世界に吸い込まれているような感覚になりそうだ。

そして特に映画館で観るときに注目してほしい本作のポイントがある。もちろん、主人公の夢に密接に絡んでくるジャズをはじめとする音楽の聞き応えも抜群だろうが、個人的には“ライティング(光)”を見てほしい。本作はとにかくライティングが美しく、そこに注目すると映画のディテールの丁寧さに気づけるようになっている。すでに最初のシーン、中学生の奏でる不揃いなサウンドに苦笑いするジョーの教室の光の差し込み方や、登場人物の頬、服、手元への当たり方がものすごい。ジョーのジャズセッションシーンでのステージライティングも素晴らしいが、日常的なシーンでの光の使われ方がアニメーションの域を超えているのだ。

とにかくリアルな表現が多い本作の写実性を探ると、たくさんの要素が出てくる。夢は叶えたいけど堅実な給料がないとやっていけないとか、いつも話しているはずの散髪屋さんのことを何も知らなかったことに気づくとか、何歳になっても母親に口酸っぱく何かを言われて嫌になったり、人の“きらめき”を現実的じゃないなんて言ったり……。映画の中で細かに描かれるニューヨークの街並みもそうだ。しかし、それ以上にこの作品がリアルに感じる理由は、そのショットひとつひとつの中で暗闇と明るみを生み出すライティングの精密さにある。

特に、22番がストリートで“きらめき”を得る瞬間。道に照らされた木漏れ日や、目をあげた先にある太陽。そういう小さくもエフェクティブな人生の瞬間を、必ず“ライティング”で表現する本作。ジャズ・ミュージシャンになるなど大層な目的でなくても、空を見ることが生きる意味だっていい。人生が目の前に提示する小さなことでも抱きしめ、“自分の人生”を生きることの大切さや「生きるうえで“無駄なこと”なんて、何ひとつない」という本作のメッセージが、ジョーだけでなく、忙しすぎたり時間を無駄にしていると思ったりする私たちにも優しく刺さる。日常の中に潜む“瞬間”として切り取られ、視覚的にも美しく表現されたそれは、劇場のスクリーンで観るとより体感できるだろう。

チケット代が高騰する今、映画館で映画を観ることがどんどん“賭け”に近い感覚になっている。それでも『ソウルフル・ワールド』のように一度配信で観て名作だとわかっている作品だとハズレなくて安心するし、さらに本来のフォーマットで再鑑賞することの意義も感じられる。本作と『私ときどきレッサーパンダ』、『あの夏のルカ』の劇場上映は、『インサイド・ヘッド2』の公開に合わせた試みだが、『ソウルフル・ワールド』同様、アカデミー賞を受賞した『インサイド・ヘッド』も類稀なる名作だった。両作品とも人間の魂や感情的な部分をシステムとして解釈するのが面白い(そして大いに大人を泣かせにくる!)のだが、『インサイド・ヘッド2』もまた良い意味で心をめちゃくちゃにしてくる作品なのだろう。思春期に現れた新たな感情にフォーカスを当てた続編が伝えたいこととは何か、今から期待が高まるばかりである。

(文=アナイス(ANAIS))

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