京都府警の川端署は川端通にないのになぜ川端署?廃止される前に「ズレてる」理由を調べてみた

現在の川端警察署の前を走るのは川端通ではなく東大路通(京都市左京区岡崎徳成町)

 京都府警には名称と所在地がミスマッチな警察署が存在する。将来的に廃止されることが決まっている京都市左京区の川端署はその代表格だろう。川端通から離れた場所にありながら、どうして川端を名乗っているのか。署の存在が消えてなくなる前に調べてみた。

 警察署の名称を考える上で押さえておきたいのが、京都府警が2005年から取り組む署の再編整備だ。狙いはそれまでふぞろいだった管轄地と行政区を一致させ、業務効率を高めること。西陣署、太秦署、松原署など地名を冠した名称も、上京署、右京署、東山署と区名を冠したシンプルなものに順次改称された。

 計画では、左京区の一部を管轄する川端署も将来的に廃止され、左京署(下鴨署を改称)に統合される予定となっている。

 ところで警察署の名称はどのように決められるのか。警察組織のルールを定めた警察法施行令は「警察署の名称は管轄区域内の主要な一つの市区町村の名称を冠する」「郡、もしくは集落の名称を冠することを妨げない」などと規定する。

 法律に従えば岡崎徳成町(東大路通冷泉下ル)にある川端署は岡崎署、東大路署、冷泉署などと称するのが適当で、署から500メートル離れた通り名を冠するのは筋違いな印象を受ける。

 そもそも市内の警察署はどのように成立したのか。「京都府警察史」(府警本部発行)を開くと、市内に初めて警察署ができたのは明治時代初頭。当初は上京署と下京署の2署体制だったが、1892年に6署体制に細分化された。そこに記載されている警察署の一つに目がとまった。河原町通丸太町上ルの「河原町署」。そう、船越英一郎さんが主演のドラマ「その男、副署長」(テレビ朝日系)で舞台となった警察署と同じ名称だ。ドラマの中の河原町署はウィキペディアで「下京署がモデル」などと紹介されているが、まったくの架空ではなかったようだ。

 話をもとに戻そう。河原町署が3年後、川端通丸太町下ルに移転して誕生したのが川端署だった。つまり川端署は現在地に移転する1923年まで所在地と名称が完全に一致していたことになる。それならばどうして、川端署は名称の由来にもなった川端通から離れてしまったのか。

 謎を解明するヒントを求めて向かったのは、京都府立京都学・歴彩館。職員に取材の意図を伝えると、後日、「面白い資料が見つかった」と連絡があった。1920年、川端署長が京都府警察部長(当時)に宛てた報告書だ。

 署長は報告書の中で川端署を拡張するのに庁舎の隣接地を買収しようとしたが、土地所有者との価格交渉が不調に終わった経緯を説明する。そして、より安価な代替地への移転を提案するのだが、その代替地こそ、岡崎徳成町の土地だった。

 残念ながら、川端通から離れた後も同じ名称が使われ続けた理由までは判明しなかった。署再編を担当する府警警務部の菊地匠警視は「川端署の名称が定着して親しまれる存在だったがゆえに、あえて変更しなかったのかもしれない」と推測する。

 京都府は2024年度一般会計当初予算案に川端署と下鴨署の統合に向けた関連予算を計上した。川端署はいずれなくなる運命にあるが、菊地警視は「新しくできる『左京署』が同じように住民に愛され、安全安心の象徴になれるよう、職員一同がんばりたい」と話した。

川端通丸太町下ルに所在した当時の川端警察署の外観写真(京都府警察史第二巻から)
川端署が川端通沿いに所在した1920年当時の署長が作成した報告書。隣接地での土地買収交渉が予算オーバーでうまくいかず、より安価な「岡崎徳成町」に新築移転する代替案が記されている(京都府立京都学・歴彩館所蔵の重要文化財「京都府行政文書」から)
1923年に川端通から東大路通沿いに新築移転した当時の川端署(川端警察署百年のあゆみから)

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