数奇な運命に導かれるまま、わが道を行くのが女子プロレスラーのMIRAI(24)だ。小学5年だった2011年3月11日に東日本大震災で被災。だが、不屈の魂で苦難を乗り越えた少女は、震災を機にプロレスと出合い、女子プロ界の盟主「スターダム」のトップ戦線で活躍するまで成長した。震災から13年。スターダムを3月いっぱいで退団し、今後はロッシー小川氏が立ち上げる新団体への参加が確実。新たな旅立ちのときを迎えたMIRAIが、激動の半生を振り返る――。
――退団の理由は
MIRAI 自分はある程度の期間が来たら、スパッと別の仕事にいきたいと思っていて。もともと現役を長く続けるつもりがなかったんです。だからプロレス人生に悔いのないように、やりたいことに挑戦したいと思って決断しました。「スターダムでやりきったか?」って聞かれたら、赤いベルト(ワールド王座)も巻いてないし…とか考えちゃうけど。安心しきれる場所を離れるからには、頑張らなきゃなって思ってます。
――幼少時代はどんな子供だったのか
MIRAI 好奇心旺盛で負けず嫌いでした。「何でもやってみたい!」って挑戦する子だったので、国内ホームステイに行ったり、小学校、中学校で生徒会に入ったり、鼓笛隊の指揮者やったり、高校でも応援団に入ったり、いろんなことをしてましたね。その性格は今も変わらないです。
――柔道もやっていた
MIRAI 小4から始めました。小さい時、兄にものすごいライバル心を持っていて。兄が「野球で丸刈りになりたくないから」という理由で柔道を始めたんですけど、弱くて。学校で投げられないからって、家でよく投げられました。兄に「やり返したい」って思ったのが始まりです。
――小学5年時に東日本大震災を経験した
MIRAI 経験したことがないくらい揺れて怖かったですけど、その時学校にいて、自分は高学年だったから、不安そうな低学年の子の前で怖がらないようにしてました。その日は親が迎えに来た人から帰れたんですけど、両親とも来られなかったので、学校に泊まりました。
――どれほどの被害に遭ったのか
MIRAI 母の職場には津波が来たので車がダメになってしまって、兄もバスがあと1本遅かったら、津波にのまれていたかもしれませんでした。漁師の父は昔、定置網船に乗っていたんです。震災の時には決まった時期に決まった量のウニやアワビを取るようになっていて、船や小屋はダメになっちゃったけど…父も無事でした。今も地震の時に鳴るサイレンの音が嫌いです。
――震災後にプロレスを初観戦した
MIRAI 小6の時に新日本プロレスがチャリティープロレスで地元に来て、その時に初めてプロレスを知りました。棚橋(弘至)さんを好きな後輩に誘われて行ったら、ハマっちゃいましたね。中学では学校の子供を巌流島に連れて行ってくれる(初代タイガーマスク率いる)リアルジャパンプロレスが主催していた企画に応募したら通って。その時にプロレスラーとご飯を食べられる会があったんです。「レスラー、全然いないじゃん」って思ってたら、最後の記念撮影で急にポケットからマスクを取り出してかぶり始めて(笑い)。純粋だったので「えー!」って驚いたのは印象に残ってます。
――それからプロレスラーを目指すように
MIRAI いや、実は震災前までは、漫画のブラックジャックが好きで医者になりたかったんです。震災後、震災を題材にしたドラマのオーディションに応募して。主演はダメだったけど、友達役として受かって撮影に参加しました。でも、スタッフの人に「編集の関係で1時間版には出られません。後から放送される3時間版にはちょっと出てます」って言われたことが悔しくて。撮影が楽しかったから、芸能の仕事に興味を持ち始めましたね。
――女優志望だった
MIRAI いろいろなオーディションを受けて、最終的にテアトルアカデミーに入って仙台の養成所に通い始めました。土日に宮古から仙台まで親が車が5~6時間かけて送ってくれて。「ReLIFE」っていう映画に出たりしたんですけど、高校卒業も近づいてきて、進路を考えた時に芸能はこのタイミングでひと区切りかなって。
――大学進学は考えなかったのか
MIRAI 柔道で大学からお話をいただいてたんですけど、プロレスに携わる道に進みたいと思ったんです。最初はトレーナーとか調べてたけど、柔道をやってきたし、もったいないなっていう思いもあって。考えているうちに今までの経験が1個につながるし、プロレスやったらいいんじゃないかと思いました。
――親の反応は
MIRAI めちゃくちゃ反対されました。それでも自分はあきらめなかった。姉が「やりたいって言ったら聞かないんだから無理でしょ」って言ってくれて、その後母が父を説得して、KAIENTAI DOJOに入りました。練習も基礎体力がメインで男子と同じメニューなので、めちゃくちゃきつかったですよ。そのうち女子の練習生が減っていったので、東京女子に移籍しました。
――2022年1月にスターダムに移籍した
MIRAI スターダムに来るまで、人生で結果を残せたことがなかったんです。人数も多いから埋もれないためにも、ここで絶対結果を残したいっていう気持ちは強かった。それに最初に朱里さんのワールド王座に挑戦した時(22年1月)もファンの人にいろいろ言われて…。でも、そのコメントを全部読んで「今に見てろよ!」っていう気持ちでいたので、シンデレラも優勝できたのかなって思ってます。
――今後の目標は
MIRAI まだまだ上を目指していきたいです。前から地元で試合をしたいって言っているので、それを実現させたい。あとはもっとちびっ子ファンを増やしたい。自分も小さい時に憧れたからこそ、今度は逆の立場になりたいです。みんなのヒーローになります!
☆みらい 1999年12月3日、岩手・宮古市出身。高校卒業後の2018年4月にKAIENTAI DOJOに入門。19年4月に東京女子プロレスに移籍し、同年5月に舞海魅星(まいうみ・みらい)のリングネームでデビュー。22年1月のスターダム移籍後、「シンデレラ・トーナメント」を2連覇。23年7月にはワンダー王座を獲得した。必殺技はミラマーレショック(旋回式みちのくドライバーⅡ)。163センチ、63キロ。