なぜ野球には体罰があるのか?

学生時代に運動部で体罰を受けたという人は多いと思う。4月9日の「大竹まことゴールデンラジオ(文化放送)」では、「体罰と日本野球」という本の著者で高知大学総合科学系地域協働教育学部門の准教授、中村哲也さんに野球における体罰の話を伺った。

小島慶子「体罰は野球というスポーツで特に顕著だったわけですか?」

中村「どこまで断言できるかは分からないですけど、野球界で体罰が比較的早く起こっている、ひどい事例がたくさん見られるということは言えると思います。それは日本の戦前から戦後の高度成長期まで野球が圧倒的な人気があって競技人口も多い、社会的注目度も高い、プロになってスターになれるといった道も見えているところから中学、高校から参加したい人も多い。だから競争も激しくなって、より厳しい体罰、しごきが行われるようになったと思っています」

大竹「怒鳴ったりとか、坊主頭の強制などもありますよね。どこまでの範囲が体罰で、どこからが暴力なんですか?」

中村「体罰と暴力の線引きは難しくて、どれくらいの力で小突かれたら体罰か、暴力かの違いは一概には言えません。ですが、基本的に上位の立場の人が下位の立場の人に自分の言うことをきかせたり、思ったように動かすっていうのは体罰とか暴力になります。線引きそのものにあまり意味はないというか、細かい線引きは私としては同じようなものだと思っています」

小島「つまり、どこかで線を引くと、そこまではやっていいんだってことになってしまう」

中村「そうですね」

小島「力で言うことをきかせる、相手を脅かすとか、きついことをさせるというのはないんですよね」

中村「きついことをさせるというのはスポーツのレベルが上がるとトレーニングの強度は上がるので、それ自体はダメだとは思っていません。トレーニングには必ず目的があるので、何とか筋を鍛えましょうとか、全身持久力をどれくらいまで高めましょうとか、どれくらいのスピードのボールを投げられるようになりましょうとか具体的な目標があって、そのためにここをこう鍛えるっていうのが明確にあるはずなんですよ。それをやるのはスポーツとして当然なので、それが身体的にどれだけハードであっても問題はないんですが、例えば『グランド100周走ってろ!』っていうのは全身持久力をどの程度鍛えるのかとか、タイムはどこだったらいいのかというのは一切なく、ただ言うことをきかせるとか、しんどい思いをさせる意味しかないので、そういうのはダメですよということなんです」

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