【パリ五輪を目指す注目女子アスリートの履歴書】
杉原愛子(24歳/株式会社TRyAS)=体操(第2回)
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2020年夏に予定されていた東京五輪は土壇場の3月下旬に急遽、翌夏への延期が決定した。
競技によっては五輪切符を手にしていた選手もいれば、間近に迫った代表選考に臨もうとピークを合わせていた選手もいた。当事者たちの胸中は筆舌に尽くしがたいが、杉原は1年間の延期をプラスに捉えていた。
3月時点で痛みを抱えていた右足首の骨折が判明。4月に代表選考を控えていたため、絶望の淵に立たされていただけに、延期の知らせはむしろ朗報だった。無理をして競技を続けるのではなく、思い切って手術を選んだ。
「手術は極秘で行いました」と、その理由についてこう話す。
「つらい思いをしている選手がいる中で私だけが喜んではいけない雰囲気があったし、何より自分の弱さを周囲に見せたくなかった。『この人、ケガしたんだ』と思われたり、『代表になれないのでは』などと勝手に思われるのが嫌で。手術の成功率も半々で選手生命を懸けていました。本気で代表を狙っているからこその、負けず嫌いな気持ちが強かったんです」
五輪切符を狙うライバルたちは日夜練習に励んでいる。当然、焦りが募った。振り返るとこの期間が人生最大の挫折だったという。
しかし、しっかり治さないと同じことの繰り返しになる。不安を押し殺して目の前のことだけに専念した。結果、通常なら半年かかると言われていたリハビリを3カ月でクリア。翌21年5月のNHK杯で五輪切符を手に入れた。
「実は東京五輪を最後に引退するつもりだったんです」
メダルまでわずか0.816点差の団体5位で終えた東京五輪では、選手村はもちろん試合会場まで徹底的なバブル体制が敷かれ、無観客開催となったのは記憶に新しい。
体操競技は会場内の各場所で選手たちが同時進行で演技するため、あちらこちらから拍手や手拍子が聞こえてくる。ところが、東京五輪は一切の静寂の中で淡々と進行する特異な大会となった。
「開催してもらっただけでも感謝の気持ちでいっぱいでしたが……。お祭り騒ぎだったリオ五輪と比べると、その差をより明確に感じました。私は応援してもらう中で演技するのが好きだし、力を発揮できる。あの時間と空間に特別な思い入れがありました。また、これまで支えてくださった方々に最高の演技を見せて、恩返しをしたい気持ちも強かった。にもかかわらずファンの方々やスポンサーさん、両親にすらも最後の場を見てもらうことができない。本当にそれでいいのか、このまま引退したら絶対後悔する、と」
東京五輪直後の21年10月に左ひざにメスを入れたため、紆余曲折の末、翌年6月の全日本種目別選手権(ゆか)を集大成の場に定めた。(つづく)