猪子寿之×成田悠輔のアート談義 「アートとは何か」のヒントは子どもが描く太陽付の”ママの絵”

1月下旬の真夜中、成田悠輔はteamLab(チームラボ)代表・猪子寿之と不思議な空間にいた。そこは制作中の「森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボボーダレス」。成田が番組MCを務めるトーク番組『夜明け前のPLAYERS』の収録でのことだ。オープン前に館内を巡った2人はチームラボの作品を通してアートについて語らった。

猪子はチームラボ創設初期から、境界が生まれず視点が固定されない世界を創ることに挑んでいる。作品に焦点を当てる見せ方をする従来のアートとは違うその手法は、時としてアート業界に論争を生み、成田も「普通のアートとベクトルが逆(方向)に行き過ぎているんじゃないか」と感じることがあると言う。そんな猪子が考える“アート”の姿を引き出そうと、成田は試みていた。

「“連続していること”そのものが美の対象になったらいい」

アートは大なり小なり人間の認識や行動の変化に貢献してきたと考える猪子に成田は、「(アートが)新しい世界の認識や表現の仕方を獲得すると共に、普通の人の世界の捉え方はどう変わってくれたらいいなというのはありますか」と聞いた。

猪子は「人は世界の中にいるし、世界と連続しているし、すべての世界は無限の連続性の上に存在している」と考えているが、にもかかわらず人間は無自覚に境界を作り、切り取って個別な独立したものとして認識する傾向にあると指摘した。

その状態は“言葉にすること”を例に挙げると分かりやすいとし、例えば「地球と宇宙はつながっているし連続しているけれど、“地球”と言った瞬間、まるで地球と宇宙の間に境界線があって(地球が)独立して存在できているかのように勘違いしてしまう」と話す。

美に対しても同様。美術館でどの絵が一番良いかと会話するシーンに象徴されるように「(人は)独立した存在が美の対象だと思う」のだとか。

猪子は「本来は全てが連続しているはずだし、自分と世界も連続しているのだから、“連続していることそのもの”が美の対象になったらいいなと思っているし、自分と世界が連続していることをほんの少しでも感じさせられたらいいなと思っている」と明かした。

「確かに、この人が美しいとか、この景色が美しいというのは他との関係性の中で立ち上がっているものですものね」と納得する成田に、「人はいつからか言葉をしゃべり、いつからか絵を描いていたわけですよね」と猪子は続ける。

絵を描く・見るは関係性を残したまま世界を味わう手段

猪子は、人類が言葉や絵を描く手段を獲得した理由について「何らかの抽象化をして情報量を下げないと複雑な世界を認識できないから」と持論を展開。「脳の抽象度が上がって言語を獲得したと同時に、別の何等かの抽象度が上がって絵を描くことも獲得できた」と考えている。

「言葉は、さっき言ったように1個1個を独立させて認識させていくのだけれども、絵を描く・見るというのは何等かの関係性を残したままどうにか認識する方法として獲得したのだと思うんです」と猪子。

そのヒントは母親を描く子どもの絵にあったようだ。「子どもが一番最初に“ママ”って言うじゃないですか。“ママ”は言葉ですよね。でも“ママの絵を描く”となると、往々にして家があり地面があり、太陽があったりする」と言い、子どもにとって母親は家や太陽と関係し合っているためだと分析。関係性を残したまま抽象化して認識できるよう、発展していったのが絵を描くことではないかと語る。

また、音楽まで含めてすべての文化も同様に説明する猪子。「この世界をどうにかありのまま味わう……もちろんありのままに味わうことはできないのだけれども、関係性や連続性を残したまま味わうこととして、発展したのが文化じゃないかとすら思っている」

「そうすると言葉、特に名詞や概念みたいなものはお嫌いですか」と成田。「言葉は名詞的なもので孤立させて、そこに“何々である”とか”何々でない“といったゼロイチの論理を適用することで、敵と味方みたいな構造を作りやすい。言葉には本質的にそういう部分があるんじゃないかと思うんです」

少しいじわるなその質問に「何なんですか」と苦笑いをしながら猪子は「そう、そう思っている。だから、そうじゃない世界の認識にすごく興味があるんです」と背筋を伸ばした。

本対談は『夜明け前のPLAYERS』公式HPでノーカット版が、公式YouTubeでディレクターズカット版が配信されている。

「夜明け前のPLAYERS」
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写真提供:(C)日テレ

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