「1つのチームに」石川県2校の高校球児が仙台育英で合同練習 練習試合やホームステイで笑顔を

能登半島地震で被害を受けた石川県の2校の球児が、仙台育英高校の硬式野球部に招かれ宮城県を訪れました。今も断水が続くなど苦しい環境にある球児たちが久しぶりに笑顔でプレーする姿と、彼らを迎えた仙台育英の監督や選手たちです。

3月27日、仙台育英多賀城キャンパスにやって来たのは、輪島高校と飯田高校の球児たちです。
輪島高校中川直重選手「自分たちは被災して練習場所を確保するのも難しい状況なので、こういう場所を用意してくださって本当に感謝しています」

元日に発生した能登半島地震で、輪島高校の野球部のグラウンドには地割れが発生し、大人の胸の高さほどもある大きな段差ができてしまいました。復旧の見込みは立っていません。
珠洲市の飯田高校もグラウンドに地割れが発生し、野球の練習ができる環境ではありません。

仙台育英湯浅桜翼主将「皆さんと野球を通して笑顔あふれる素敵な時間にしていきたいと思います」
2つの高校の野球部員31人と監督らが参加して3日間の日程で、仙台育英と合同練習などを行います。

緊張をほぐす

被災地の球児に笑顔で3日間過ごしほしいと、仙台育英の部員たちの発案で練習の前に出し物やゲームなどで緊張をほぐしました。
仙台育英須江航監督「Tシャツ作りました」
今回の交流の記念にと仙台育英が贈ったのは、輪島塗をイメージした赤と金のそろいのTシャツです。
仙台育英須江航監督「日常生活や心が戻った時にはじめて復興といえると思うので、その長い長い道のりのお手伝いです。ちょこっとだけは役に立てるかなと。人生を豊かにしてほしいと思っているのでお呼びしました」

輪島高校、飯田高校いずれも金沢市など遠方に避難している選手も多く、全員そろっての練習は久しぶりです。
輪島高校平匠選手「ノックは輪島ではできないので、本当に楽しいです」
飯田高校笛木勝監督「ここに来ることが正解なのかどうなのかって迷っている生徒もいたのも正直なところです。実際に来てみて子どもたちのキラキラとした笑顔を見れたことを率直にほっとしてます」

2校の部員は、須江監督や仙台育英ナインの自宅にホームステイしました。須江監督の自宅には、飯田高校の選手らが滞在しました。地震の影響で通学手段が無いことや、現在も断水が続いていることなども話題に上がりました。
仙台育英須江航監督「何で通ってるの?送ってもらってるの?」
飯田高校梶遥登選手「出てないです地震で」
仙台育英須江航監督「洗濯するものあるでしょ?」
飯田高校米沢理玖選手「(うなづく)」

須江監督宅にホームステイ

今回の合同練習を企画したのは、仙台育英の須江航監督です。東日本大震災当時、監督を務めていた系列の中学校の野球部員と共に石川県に招かれたお返しをしたいと考えました。
仙台育英須江航監督「バスで行って練習試合をして、保護者会の方々にお昼ご飯をごちそうになったっていう思い出がありますね。そこで初めて(震災後に)初めて集まりましたねチームが。温かいものを(石川県で)初めて食べたとか、初めてお風呂に入った子がいましたね」
飯田高校山岸大祐選手「こういうつながりって大事だなと思ったし、人にそういうことをされたらちゃんと返すということがつながりを生むんだなって思いました」

3チームが1チームに

ホームステイから一夜明けて行われた練習試合。整った環境、甲子園常連校との対戦、かみしめるようにひたむきに白球を追い続けました。
輪島高校二木悠太郎選手「楽しかったっすね本当に。良かったです。今全員そろってやるのが難しい状態なので、こういう機会をいただいてうれしいです」
飯田高校山田恵大選手「自分の野球人生の中で本当に笑顔あふれる3日間になって、チームとしても個人としても本当にうれしい気持ちでいっぱいです」
仙台育英須江航監督「今は苦しいかもしれないけど、君たちのことを思ってる人がたくさんいるっていうことを頭の片隅や心の隅っこに入れてもらって、頑張ってください」

被災地から被災地へ野球を通した3日間の交流。3校の選手たちは1つのチームになっていました。

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