『オッペンハイマー』心を忘れた科学、悲しいマラソン

※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。

『オッペンハイマー』あらすじ

第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける。

心を忘れた科学


手塚治虫のマンガ版と同時に発表されたTVアニメ「ミクロイドS」 (73)の主題歌には、以下のような歌詞がある。

「心を忘れた科学には、幸せ求める夢がない」

アニメの主題歌がアーティストのタイアップではなく、物語や設定の理解をうながす導線として機能していた時代。悪の種族ギドロンの科学力で小型化されたミクロイドSが、その能力を活かし敵に立ち向かう勇姿を捉えたこの歌は、日本歌謡界を代表する作詞家・阿久悠によるものだ。アニメや特撮番組に薫陶を受けてきた自分にとって、今回の『オッペンハイマー』は、言葉に命を賭けてきた氏の「魂の叫び」に感応する。

『オッペンハイマー』© Universal Pictures. All Rights Reserved.

過日に開催された第96回米アカデミー賞授賞式で、作品賞を含む7部門で受賞の栄誉に輝いたクリストファー・ノーランの新作『オッペンハイマー』(23)が、全米公開から約8か月を経て日本での公開を実現させた。原子爆弾の開発に尽力し、水爆の開発に反対して地位を追われた理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を主題にしたこの映画は、原爆投下によって多くの犠牲者を出したことへの国民感情に配慮してか、我が国での上映に関して慎重な構えがうかがえた。しかし作品の内容は核爆弾製造の達成を偉業として描いたものではなく、オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)がマッカーシズム(赤狩り)によって共産主義を糾弾され、その背後には米原子力委員会委員長ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)の私怨が原動力としてあったのではないかという、陰謀をフックとした近代史ミステリーの体裁をとっている。ノーランは最初の長編作『フォロウィング』(98)から折りに触れ、こうしたミステリーを常道としてきただけに、『オッペンハイマー』の同様な構えは、まさに氏の精髄を極めたものといえるだろう。

『オッペンハイマー』と『JFK』


このようにジャンルの観点から本作を捉えた場合、前述したオッペンハイマーとストローズの対立関係に、多くの人が名作『アマデウス』(84)を連想するかもしれない。天才作曲家モーツァルト(トム・ハルス)の才能に、宮廷作曲家のサリエリ(F・マーリー・エイブラハム)が翻弄されていく、舞台劇を映画に置換させた歴史ミステリーの古典は、なるほど『オッペンハイマー』の鋳型と思えなくもない。

しかし誤解を恐れずに言うと、自分は近代史ミステリーとしての『オッペンハイマー』の骨格には、オリバー・ストーンが1991年に発表した『JFK』と似た形状を覚える。同作は地方検事ジム・ギャリソン(ケビン・コスナー)の説に基づく政治陰謀スリラーだ。ギャリソンは、ジョン・F・ケネディ暗殺をめぐるCIAの陰謀に関与した容疑で民間人クレイ・ショー(トミー・リー・ジョーンズ)を起訴し、法廷の場で大統領の死を追及していく。そしてダラスで狙撃されたケネディ大統領の悲劇は、彼の存在が邪魔な勢力の間接的な結託による、国家規模のクーデターだったと唱えるのだ。

『オッペンハイマー』© Universal Pictures. All Rights Reserved.

この抹殺行為は自分の中で『オッペンハイマー』と符号が一致する。オッペンハイマーはアメリカの核兵器開発に邪魔な存在として、軍拡をめぐるステークホルダーが国家規模の共犯関係を結び、彼をつまはじきにしたのだと解釈できる。それはストローズを軸に、ソ連との軍拡競争を視野に置くトルーマン大統領(ゲイリー・オールドマン)の態度や、「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー(ベニー・サフディ)がオッペンハイマーに不利な証言をするなどの科学的分断にも明らかで、それらは後述する、オッペンハイマーがラストに見る閃きへの布石として機能するのだ。

『オッペンハイマー』と『JFK』――。両作を接続するブリッジにやや強度が足りない気もするが、前者のラスト、オッペンハイマーに対するストローズのやり方に異を唱え、彼の大臣就任を保留した人物としてジョン・F・ケネディの名が挙がるところは、『アマデウス』以上の密着性を感じさせる。

悲しいマラソン


そのうえで、この『オッペンハイマー』に強く感じられるのは、生活を豊かにするはずの科学が文明破壊をもたらすジレンマや、終わりなき核兵器への依存に対する疑問など、これらに目を向けた大局的な創造に他ならない。IMAXなどのラージスクリーン上でアクチュアルイベントを再現し、没入感をともなわせて観客に提供するのがノーランの視覚における大局アプローチならば、彼は今回、恒久的に人類についてまわるテーマへとそれを発展させ、内容においても、より大局を見据えた映画づくりへとフェーズを移行させたのだ。

そんな大局の象徴的な要素として、自分は劇中におけるエドワード・テラーの存在を無視できない。テラーは1935年にヒトラー政権下のドイツから亡命してアメリカへとわたり、1940年代には核兵器推進の中心人物として、米政府に極秘の取り組みに着手するようはたらきかけた。そして原爆を開発したプロジェクト「マンハッタン計画」の初期メンバーとして関与し、劇中では軍拡の危険を告げるアラートのように登場する。

『オッペンハイマー』の最後、おびただしい数の地上配備型迎撃ロケットが発射され、核の炎で地球が焼かれる幻像が末尾のヴィジョンとして示される。それはオッペンハイマーの閃きであるかのように演出されているが、原爆からやがては水爆へと継受される軍拡競争の夢魔は、現実にテラーが『オッペンハイマー』の後に主導したことなのだ。

『オッペンハイマー』© Universal Pictures. All Rights Reserved.

こうした破滅への悪循環を、我々に示した身近な創作がある。それは特撮ヒーローTVシリーズ「ウルトラセブン」第26話の「超兵器R1号」(68)だ。遠星での兵器実験の影響で怪獣化し、復讐のために地球を襲撃しにきたギエロン星獣。背後にはエスカレートしていく熾烈な軍拡競争が横たわり、それはすなわち、

「血を吐きながら続ける、悲しいマラソン」

だと、ウルトラセブン/モロボシ・ダン(森次晃嗣)は悲観をあらわにする。『オッペンハイマー』のラストは、まさしくダンの台詞の別言といって相違ないだろう。

冒頭「ミクロイドS」の歌詞に始まり、文尾を「ウルトラセブン」で締めるオタク的教養の適用は、ノーランの大局とは対照の視点にあるものかもしれない。しかし「心を忘れた科学」も「悲しいマラソン」も、すさまじい情報量を有する『オッペンハイマー』を捕捉するうえで、これほど正鵠を射た要言を自分は知らない。

文:尾崎一男(おざき・かずお)

映画評論家&ライター。主な執筆先は紙媒体に「フィギュア王」「チャンピオンRED」「映画秘宝」「熱風」、Webメディアに「映画.com」「ザ・シネマ」などがある。加えて劇場用パンフレットや映画ムック本、DVD&Blu-rayソフトのブックレットにも解説・論考を数多く寄稿。また“ドリー・尾崎”の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、TVやトークイベントにも出没。

Twitter:@dolly_ozaki

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『オッペンハイマー』

3月29日(金)より全国ロードショー 中

IMAX®劇場 全国50館 /Dolby Cinema®/35mmフィルム版 同時公開

配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画

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