仕事を理由に旅行をドタキャンしてきた彼氏。25歳女が本音を漏らしたら、電話を切られ…

東京の女性は、忙しい。

仕事、恋愛、家庭、子育て、友人関係…。

2023年を走り抜けたばかりなのに、また走り出す。

そんな「お疲れさま」な彼女たちにも、春が来る。

温かくポジティブな風に背中を押されて、彼女たちはようやく頬をゆるめるのだ――。

▶前回:「同期といるのしんどい」仲良しグループでハワイ旅行に行った代理店勤務・26歳女の本音

若菜(25) 物わかりのいいフリばかりして…

『勝明:ごめん、今週の土日、大阪に出張になってしまった。本当に申し訳ないけど、行っていい?』

LINEを受け取った瞬間、若菜の心臓は、ぎゅっと握りつぶされたかのように痛んだ。

付き合って1年目の記念日。箱根のハイグレード旅館を予約していた。

『若菜:そっか!残念。もちろん』

― こういうのには慣れてるから、大丈夫。

若菜は、自分に言い聞かせるが、さみしさで押しつぶされそうになる。

「物わかりのいいフリばっかりだな、私」

池尻大橋にある1Kの部屋に、さみしげな声が響いた。

勝明は、3つ年上の28歳。

2年前からIT系スタートアップ企業に勤めているということで、付き合ったときから常に忙しくしている。

土日に平気で仕事が入る。深夜残業が当たり前。付き合いの飲み会が多い。

ホワイトな食品輸入会社に勤めている若菜は「もっと働きやすいところに転職したら」と提案したくなることもある。

だが、勝明は至って楽しそうだ。「全然ストレスじゃなくて、毎日楽しい」と断言している。

― 勝明は大学時代は応援部だったし、バイタリティが違うんだな。

1年前、出会った食事会で、彼がうれしそうにそんな話をしていたのも覚えている。

「前職の通信会社から独立して、尊敬している先輩3人と起業したんだ。俺は一番下っ端だから雑用が多くて一番忙しいんだ」

仕事好きで、年収もいい。会える頻度は低いが、会ったときはうんと大事にしてくれる。

理想的な男性なのかもしれないが、若菜はさみしくて、ひとり、疲弊していく。

『勝明:本当にいつもごめんね。3日前だからキャンセル料もかかるよね、俺が払うから!』

重ね重ね謝る勝明のメッセージを、そっと閉じた。

宿泊キャンセル料は3日前から100%で、10万円を超えてしまう。

ならば1人で行ってしまおうと、土曜の昼過ぎ、若菜はロマンスカーに乗り込んだ。

一人旅は初めてだ。キオスクを横目に、新宿駅のホームの列に並ぶ。

― 勝明がいたら、あそこでビールでも買って、わいわい楽しく移動できたんだけど。

浮かぶのは、勝明のことばかり。

滑り込んできた赤いロマンスカーの色がまぶしい。8号車の10列、窓際の席に座って、深いため息をつく。

物わかりのいいフリなんてしないほうがいいと若菜はわかっている。

でも、仕事と私どっちが大事なの、なんて叫べるほど奔放な性格でない。

― 勝明は、私が本当はさみしいことになんて、気づいてないだろうな。

勝明は、明るくて豪快な性格だ。

もともと勤めていた大手通信会社を辞めるときも、何の躊躇もなく「とりあえず」「勢いで」動いたという。

彼は大雑把なところがあるから、「彼女の本音」についてじっくり考えたりはしないだろうと若菜は思う。

列車が進むごとに、心細さが増幅する。

真横に座るカップルが仲睦まじく談笑しているのが、若菜の心を蝕んだ。

― やっぱり家でおとなしくしていればよかったかな。

LINEを開いて、勝明に「行ってきます」とメッセージを送る。

本当はさみしさをぶつけてみたいけれど、面倒がられたら怖い。

若菜は、自分に自信がない。仕事にも、自分の内向的な性格や、取り立てて美人ではない見た目にも。

だから、もしフラれてしまうようなことがあったら、電気が消えた夜道のように毎日が薄暗くなるだろうと思う。

臆病な自分にうんざりしながら目を閉じた。

箱根湯本に着き、登山鉄道に乗って強羅駅まで出る。ケーブルカーに乗り換えて、早雲山駅で降りると、予約していた宿が見えてきた。

箱根湯本は、外国人観光客も多くごった返していたが、宿周辺は穏やかで、薄水色の空が大きく広がっている。

― もし勝明がいたら「気持ちいいなあ」って大口開けて笑うんだろうな。

本日何十回目の「もし勝明がいたら」を考えながら、広々とした館内へと入っていった。

「ようこそお越しくださいました」

キレイな着物に身を包んだ年上の女性が、恭しくお辞儀をしてくれる。こういうとき、若菜はどうしていいかわからず曖昧な表情で黙り込んでしまう。

― 勝明がいたら、みんながつい笑顔になるようなちょっとしたトークをしてくれるのに。

ウェルカムドリンクを飲んで、館内の説明を受けて、部屋に移動してまた説明を受ける。移動中、何組かのカップルや夫婦とすれ違った。

心細さが押し寄せてほとんど内容を聞けなかった若菜は、仲居さんが部屋を出て、ようやくほっと一息つく。

とりあえず浴衣に着替えて、広々とした畳の部屋を見回す。大きな窓から見えるのは、春の箱根。

何枚か写真を撮って、勝明に送った。

― せっかくだし、館内を歩いてみるか。

もらった案内シートを見たところ、ロビーから出たところに、大きな共用の足湯がついていた。そこに行こうと、タオルを片手に部屋を出た。

「ふう…あったかい」

足湯に浸かった若菜は、ようやく少しマシな気分になった。

そのとき、手に持っていたスマホが震える。

勝明からの着信だ。

「も、もしもし?」

「おう。部屋の写真見たよ、いい感じだね。今日はほんとごめんな」

「うん。一人で楽しんでるよ。でもね、あのね」

「ん?」

「…本当はちょっと寂しい」

勢いで言ってみたら、勝明はだまりこんでしまった。

「私、ほんとはいつも思ってるんだ。勝明にとって私ってなんだろうって」

― ああ、こんなこと、ぶつけたくない。

しかし、言葉は走り出ていく。

「正直、勝明にとって、私は大したことない存在なんだろなって思うの。だって、記念日くらい、私を優先してくれてもいいじゃん」

「…大事な仕事なんだから、わかってよ」

いつもより、息の分量が多い声。拗ねているのか、面倒がっているのか。若菜にはわからない。

「わかってあげたいよ。でも、さみしいもん…」

そのとき、女の人が足湯に入ろうとやってきた。

若菜は涙声をひっこめる。

短い沈黙ができると、勝明は「ごめん、もう戻らなきゃ」と言って電話を切ってしまった。

スマホを膝の上に伏せて置いて、天を仰ぐ。

「すみません、お電話、気にしなくてよかったのに」

女性は申し訳なさそうに声をかけてきた。形の整った目で若菜をまっすぐに見ている。

「あ、いや、いいんです。ちょうど終わったので」

「ならよかったですが」

女性は細い両足を足湯に入れると、ふうっと気持ちよさそうな声を漏らした。

「いい天気ですね」と屈託なく笑う。

「あ、そう…ですね。えっと、一人旅、ですか?」

「はい。あなたも?」

若菜がうなずくと、女性はいっそう笑顔になった。

「一人旅って、気楽でいいですよねえ。いろんな旅行をしたけれど、結局一人旅が一番。至高の贅沢ってかんじがします」

独り言のような何気なさで女性は言う。

― かっこいいなあ。

同い年くらいだろうか。見るからに仕事ができそう。自信にあふれた美人。

自分に今足りてなくて、まさに手に入れたいもの――独りで人生を楽しむ余裕が、感じられた。

若菜は部屋に戻り、今度は部屋に付いている露天風呂に入る。

全身を包むとろりとした泉質。湯けむりが顔にあたって心地良い。

スマホを見ると、勝明からのメッセージが入っていた。

『勝明:そんなにさみしい思いさせてるなんて知らなかったよ。反省してます』

追って、こんな連絡が来ている。

『勝明:でも仕事、本当に大事なんだ。わかってほしいと思ってるんだけど、難しいのかな』

もし自分に「独りで人生を楽しむ余裕」があったらどうだろう、と若菜は思う。

― きっと、恋愛のことでこんなにも揺らぐことはないんだろう。

だったら、そうなりたいと若菜は切望する。

仕事でもいい。旅でもいい。食事でも、美容でも、なんでもいい。何かに夢中になって、自分を気に入ることができたら、ちょっとは余裕が生まれるはずだ。

若菜は、今こそ自分が変わるべきタイミングなのだと感じた。

― さっきの人みたいに独りを楽しめるようになったら…どんなに世界が心強くなるだろう。

想像するだけで、わずかながらに心の余白が生まれる。

若菜は、深呼吸をして森の匂いを体に取り込んだ。

20代の折り返し地点。

― 今の自分は嫌い。ここから、どう変わっていくべきか。

自分の体を抱きしめるように温泉につかりながら、ゆったりと考えるのだった。

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