ニデックが在籍2年のソニーグループ出身・岸田光哉副社長を社長に起用した理由(有森隆)

(左から)グローバルグループ代表に就任する永守重信会長、社長に就任する岸田光哉副社長、会長に就任する小部博志社長(C)共同通信社

【企業深層研究】ニデック(上)

ニデックの長年の課題だった後継者問題は決着するのだろうか。2月14日、4月1日付で副社長の岸田光哉(64)が社長に就く人事を発表した。最高経営責任者(CEO)の座も、創業者の永守重信(79)から岸田に譲る。

永守は今後も代表権を持ち、新設されたグローバルグループ代表として成長の要となるM&A(合併・買収)を主導する。

永守の番頭を自任する社長の小部博志(75)は代表権のない会長になった。後継者問題は今度こそ決着を見るのか。

永守は1973年、プレハブ小屋で日本電産(現ニデック)を4人で創業。これまで70件以上のM&Aを重ね、売上高2兆2000億円、グループ社員数10万7000人の大企業に育て上げたカリスマ経営者だ。

それでも80歳を目前にした永守の後継者選びは迷走した。内部からの昇格ではなく、外部から優秀な経営者を招くことにこだわった。2013年のカルソニックカンセイ(現マレリ)元社長の呉文精に始まり、シャープ元社長の片山幹雄、日産自動車出身の吉本浩之を次々と招聘してきたが、いずれもお眼鏡にかなわず、社を去った。

特に日産自動車の元副COO(最高執行責任者)関潤(62)については、社長に加えてCEO職も譲ったことから本命とみられていたが、永守が首を縦に振ることはなく、22年に退任した。

創業期からの補佐役の小部がショートリリーフとして社長を務めたが、世代交代が進まない状況を不安視する声が社内外から強まっていた。

日本電産からニデックに社名変更した23年4月1日、5人の副社長を指名。このうちの1人を1年後の24年4月に社長に昇格させることになった。

副社長になったのはプロパー社員ではない。全員が中途入社組。北尾宣久(12年入社)と西本達也(同09年)は三井住友銀行出身。大塚俊之(同04年)は埼玉銀行(現りそな銀行)出身。小関敏彦(同18年)は東京大学の副学長を務めた研究者で、永守が理事長を務める京都先端科学大学の副学長に納まっている。

ソニー(現ソニーグループ=G)出身の岸田は、日本電産への入社が22年1月で、社歴は5人の中で最も短い。

選ばれたのは在籍が2年余という岸田だった。岸田は香川県出身で、京都大学教育学部卒業後、83年ソニー入社。生産本部長やスマートフォンの事業子会社の社長などを歴任。赤字だったスマホ事業の立て直しで辣腕を振るった。日本電産に入社すると不振が続く車載事業の本部長として再建にあたってきた。

一流企業のエリートを引っ張ってきて後継候補に据えるという手法は、これまでのやり方とまったく変わらない。

「真の生え抜き社長が誕生するのは早くて4年後。岸田の次の社長候補として、28年にはプロパーの社長候補が出てくる。次を担えそうな人材を早く育てていきたい」と永守は今後の展望を語る。

昨年3月の時点では「新体制発表に伴って代表権を返上する」と言明していたが、この約束を完全に反故にし、永守は代表権を持ち続けることになった。これではニデックの表紙はまったく変わらないことになる。「海外のM&Aには代表権が必要」というのが代表権を持ち続ける理由だが、説得力に乏しい。ニデックのドン、永守体制は不変なのだ。

「業績を上げてくれ。株価を上げてくれ。言いたいことはそれだけだ」としているが、思い通りにいかなければ、いつでも強権を発動できる。

業績&株価という2つの課題を達成できなければ、前任者たちと同じで、あっさり見切りをつけられることになる。 =敬称略、つづく
(有森隆/経済ジャーナリスト)

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