春の陽気に誘われて、伏見港公園から観月橋駅まで宇治川河川敷をテクテク歩き【京阪電鉄宇治線】

中書島駅から観月橋駅へ向かう京阪宇治線車両

■ 三栖閘門から観月橋まで

京阪宇治線は、中書島駅(ちゅうしょじまえき)を出ると伏見の町中を抜け、そのあとは宇治川に沿って東に延びる。中書島駅から、次の観月橋駅(かんげつきょうえき)までは約700メートル。天気もよかったので、宇治川沿いをテクテク歩いてみた。

近鉄京都線の線路下をくぐり、しばらく歩くとレンガ造りのレトロな建物が見えてくる。掲げられているのは「平戸樋門」と刻まれた扁額(へんがく)だ。

平戸樋門は1926年の完成。ここから宇治川の水を取水して濠川(ほりかわ・ごうがわ)に流し、伏見の街をぐるりとめぐって前回紹介した三栖閘門(みすこうもん)から、ふたたび宇治川に流出させていたのだ。

そして、平戸樋門の上流に架かるのが「観月橋」。名前は風流だが、鉄筋コンクリート製の武骨な橋で、国道24号線のルートであるため交通量は多い。

■「伏見桃山陵」と「伏見桃山東陵」を参拝

観月橋の橋に位置するのが「観月橋駅」だ。ここでいったん電車に乗り、次の「桃山南口駅」に向かった。

1913年の開業時、桃山南口駅は「御陵前駅」という名称だった。由来は近くに「伏見桃山陵」と「伏見桃山東陵」があるため。伏見桃山陵は明治天皇の御陵で、伏見桃山東陵は明治天皇の皇后である昭憲(しょうけん)皇太后の御陵である。

桃山南口駅からは、徒歩約16分。徐々に勾配が急になる坂道を歩き、JR奈良線の高架を越えると、あたりはうっそうとした雰囲気の森となる。

道路から左側に入り、より深く森の中に入っていくと伏見桃山陵へいたる大階段。段数は230と、見上げるだけで息がつまってひざが笑う。

そこで、先に東陵へ参拝。坂道ではあるが、大階段をのぼることを考えれば、まだラクチンである。

参拝を終えると、桃山陵方向へ向かう山道がある。平たんではないが、やはり大階段をのぼることを考えれば、こちらのルートを選んでしまう。

はたして、無事に到着するかどうか若干の不安はあったものの、案の定、桃山陵へたどり着いた。

伏見桃山陵と伏見桃山陵へ行く道の入り口に、周辺の位置関係を示した地図看板があった。それによると、桓武天皇柏原陵も近いらしい。桓武天皇といえば、794年に平安京を開いた天皇だ。

地図看板では、さほど離れていないように思えたが徒歩で約20分。山中ではあるものの、道が平らなのでさほど苦にはならない。道路の周辺には、空をおおうように高い樹木が立ち並び、森林浴気分も満喫できる。

その途中、道路沿いにゴロンゴロンという感じで石が転がっている。伏見城の石垣の一部らしい。

御陵のある桃山丘陵は、伏見城の跡地でもある。しかし、本丸跡は陵墓地であることから宮内庁の管轄となり、現在は許可なく立ち入ることはできない。近くにある伏見桃山城運動公園(元伏見桃山城キャッスルランド)には模造天守が建てられているが、こちらは伏見城の花畑跡である。

■旅順攻略の指揮官・乃木将軍をしのぶ

桓武天皇陵に参り、山を下って桃山南口駅へと歩く。すると、ふもとあたりに神社が鎮座しているのに気づく。「乃木神社」だ。

祭神の乃木希典(のぎまれすけ)は、日露戦争で活躍した陸軍の軍人だ。中国・遼東半島の旅順にあるロシア軍の要塞を攻略した「旅順攻囲戦」の指揮官として名高いが、この戦いで自分の長男と次男を失っている。そして明治天皇が崩御したとき、乃木は腹を切って自刃。妻の静子も従っている。明治天皇に対しての殉死である。

乃木を祀った神社は全国に数社あり、京都の乃木神社は1916年の創建。乃木だけでなく静子も祭神となっている。

この場所が選ばれたのは、崇敬してやまない明治天皇の側で、いつまでも仕えたかっただろう乃木の遺志をくんだのかもしれない。

ちなみに乃木の辞世の句は「うつし世を神去りましし大君の御あと慕ひて我は逝くなり」である。

© 株式会社双葉社