【メジャーリーグ通信】
謝罪のあり方は、しばしば日米の文化の違いのひとつとして語られることがある。
訴訟大国と称されるように、事案の大小を問わず訴訟が頻繁に行われるのが米国だ。そのため、謝罪がその後の裁判で不利な証拠となることを避ける目的で、例えば交通事故を起こしても弁護士から「I am sorry(申し訳ないです)」と言ってはならないと指導されるのは日常的な光景である。
賭博スキャンダルに巻き込まれた大谷翔平の会見は日本なら「お騒がせして申し訳ない」という謝罪でスタートしただろうが、米国でそれを言ったら自分の非を認めたことになる。
逆に、謝罪をすれば解決できる問題であっても、「I apologize(すみません)」の一言がないために訴訟となり、しばしば早期の解決が妨げられるのも事実である。
こうした状況を背景に、米国においては訴訟を抑制するための改革が導入されてきた。
例えば、医療過誤訴訟で医師や病院側が患者に対して謝罪しても、発言の内容が法的な責任を認めることにはならないという「謝罪促進法」はそうした改革のひとつである。
この法律は、医師や病院と患者もしくは家族が互いに率直な意思の疎通を行うことが問題のよりよい解決につながるという考えに基づいている。1986年にマサチューセッツ州が初めて制定して以来、現在米国内の38州で同様の法律が制定されている。
会話を中断させたり中座したり、あるいは体が軽く触れるなどの軽微なマナー違反があった場合、家族間や友人同士では「sorry」や「excuse me」といった表現を頻繁に利用するのも米国である。
これは関係する者同士の間柄の近さが影響しており、謝罪そのものを目的とするのではなく、日常生活を円滑に行うための手段として用いられる、礼儀作法の一種としての謝罪表現となっている。
死球を与えた時に帽子を脱いだりつばに手をかけたりすることは、日本の球界では謝罪と考えられるのに対し、米国では謝罪ではなく故意に当てた証拠と見なされる。暗黙の了解事項ながら、ひとつの行為が日米で反対の意味を持っている。
「とにかく謝らなければ次に進まない日本」と「目的によって謝罪の有無が異なる米国」という対比は、いずれかが良いというものではなく、それぞれの社会における謝罪の持つ機能の違いを示している。
(鈴村裕輔/野球文化学会会長・名城大准教授)