FC東京から宿敵東京Vへ 城福監督が苦悩の決断を告白「リトル本田のように…」

城福浩監督(右)と武田修宏氏

J1東京Vの城福浩監督(63)はなぜイバラの道を選んだのか。16年ぶりに昇格を果たした名門クラブOBの元日本代表FW武田修弘氏(56)と対談。第1回ではFC東京で監督を務めた実績がありながらも〝宿敵〟の指揮官になった苦悩の経緯を告白し、重大決断を下した裏に〝リトル本田〟の存在があったという。

武田氏(以下武田)昨年にJ1昇格プレーオフを制したヴェルディは16年ぶりに昇格を果たしました。シーズン序盤ですが、ここまでのチームをどう見ていますか。

城福監督(以下城福)想定はしていましたけど、やはりJ1は厳しい、簡単ではないなと。選手はしっかりやってくれていますが(終盤の失点で)勝ち点3や勝ち点1で終われる試合を逃しました。J1は最後に出てくる選手が強烈なんですよ。なので我々はゲームの終盤をどう戦うかを学んでいかないといけない。

武田 2021年シーズン途中に広島の監督を退任したあと、自宅でJリーグを見ていたら珍しく城福さんが解説していてびっくりしましたけど、そのときの心境はどうだったんですか。

城福 広島を辞めたあと、本来自分が(監督として)いるべき、いたいところ(J1)で解説をするのは複雑でした。これも勉強だと思っていましたし、解説者の立場でJリーグを盛り上げられればと思っていました。でも何試合か解説したあとには「こんなことをしている場合ではないな」とも感じていました。

武田 22年シーズン開幕に向けてヴェルディから監督オファーを断るも、同シーズン中に2度目の監督オファーを受けました。一度拒否したクラブからの再要請をどう思っていたのかなって。特に城福さんはヴェルディと同じ首都を本拠地とするFC東京で監督も務めていたし、ヴェルディをどう見てましたか。

城福 まずは僕がサッカー少年だった時代や現役時代は強い読売クラブで、Jリーグ始まったころのヴェルディ川崎と合わせ、歴史もあって華やかだったし(武田を指さして)あこがれの存在だったよ。

武田 いえいえ。

城福 僕はFC東京の指導者をしていたのでヴェルディとFC東京の関係も目の当たりにしてきたし、ヴェルディの当事者になり得ない人間。一度目のオファーも「J1で監督をやりたい」と断ったし、FC東京の人間がヴェルディで監督なんてやれるはずがないと思っていた。

武田 サポーターからはそう見られているところはあるでしょうし、責任も重圧も倍になる。でも、最終的にオファーを受けました。そこはどうしてですか。どんな変化があったのかなって。

城福 一度オファーをもらったら、そのチームのことが気になって興味を持って試合を見る。すると知らない間に感情移入していった。毎年6月って監督が変わる時期だけど、J1からオファーがあってもシーズン途中で自分がやりたいサッカーが表現できるのかって考えた。それとヴェルディを見ていたから表現したいサッカーをやるならここじゃないのかなと。

武田 ヴェルディとFC東京はライバルとして緊張感のある関係でしたし、そこは?

城福 ヴェルディで監督をやるのには覚悟がいる。FC東京サポからすれば許せないことだろうし、ヴェルディのOBや選手、サポーターがどう見るかも想像したね。でも、その覚悟を決めたら指導者として、もう一つ前に進めるんじゃないかと自分に問いかけた。「リトル本田」(※)じゃないけど、自分自身と会話したね。「怖いでしょ」「勇気はないでしょ」という自分と「指導者としてレベルが上がる」という自分と…。1週間くらい向かい続けたよ。

武田 FC東京で監督の経験もあり、実績もある。昨年6月に練習を見学させてもらい、経営面で決して裕福ではないクラブをまとめていました。選手たちを同じ方向に向けて、ハードワーク、コンパクト、守備意識と素晴らしかった。昨年も城福さんは「負けたらFC東京だからと言われる」と言っていた。重圧のある中、メンタルは維持できたんですか。

城福 引き受けたとき、OBやサポから、どう思われているかを考えたら監督はできないなって。だから何も気にしないようにした。監督になるからには自分が目指すものをやるために来たんだよなって。やり続ける覚悟でヴェルディに来たんだというところだけにフォーカスしていた。少し選手のやりやすいように変えてみようかなと思う局面はあった。でも、覚悟を決めてきたので。妥協しなかった。つらい時期もあったけど、これでダメなら自分が辞めるだけと思ってた。

※MF本田圭佑がイタリア1部ACミランに移籍する際に相談した心の中にいる自分

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