「スイスの気候変動対策は人権侵害」 欧州人権裁判所が異例の判決

9日、仏ストラスブールの欧州人権裁判所が下した判決に歓喜する「環境を守るシニア女性の会」のアンネ・マーラー共同代表(左)とローズマリー・ヴィドラー・ヴェルティ共同代表(右) (KEYSTONE/© KEYSTONE / JEAN-CHRISTOPHE BOTT)

欧州人権裁判所(ECHR)は9日、スイス当局は効果的な気候変動政策を実施せず、スイスの高齢女性団体の生存権を侵害したとの判決を下した。判決は世界中に影響を与える可能性がある。 64歳以上の女性から成るスイスの市民団体「環境を守るシニア女性の会(スイス気候シニア)」の会員、ノルマ・バルゲッツィ・ホリスベルガーさんは判決後、ECHRのあるストラスブールで「今日は喜びと安堵、そしてとても気持ちの昂る日だ」swissinfo.chに語った。 同団体がスイスの地球温暖化対策が不十分だとして法廷闘争を始めたのは8年前。裁判所前に集まった会員たちは、ようやく勝利の雄叫びを上げた。 ECHRは9日、気候シニアの上訴を認め、「私生活と家庭生活を尊重する権利」(欧州人権条約第8条)を侵害したとしてスイス政府を非難した。 これは異例の判決となった。ECHRは1959年の設立以来初めて、人権保護と環境に関する義務の順守を結び付け、気候変動対策の甘い国家を非難した。 スイスの学生団体「気候ストライキ」のアンジャ・グラダさんは「国際法廷が初めて、人権には気候変動を保護する権利が含まれることを認めた。スイスの気候政策が最も基本的な人権を侵害しているのは明らかだ」と語った。 グランサム気候変動環境研究所の政策研究員キャサリン・ハイアム氏は、判決は「国家は国民を気候変動から守り、国民の福祉を守る積極的な義務を負っている」ことを明確に裏付けるものだと話した。 スイス気候政策の「重大な欠落」 ECHRのシーフラ・オリアリー長官は判決に当たり、スイスはパリ気候協定で求められている気候変動対策に十分な国家政策を実施していないと述べた。 判決は、スイスが適切な規制の枠組みを整備するプロセスには多くの「重大な欠落」があると指摘した。例えば、産業革命以前からの気温上昇を1.5度に抑えるために今後どのくらいの温室効果ガスを排出してよいか、国が定量化していないことなどだ。 ECHRは9日、他の2件の気候訴訟にも判決を下した。ポルトガルの学生団体が自国やスイスを含む32カ国を相手取り、もう1件は仏グランシント市の元市長がフランス政府を訴えていたが、ともに退けられた。 気候シニアのバルゲッツィ・ホリスベルガーさんは「若いポルトガル人の訴えが実らなかったこの判決を残念に思う。しかし私たちは彼らを厚く抱擁し、私たちの勝利は彼らのためでもあると伝えた」と話した。 8年間にわたる闘い 気候シニアスイスは2016年、スイス当局の推進する気候政策は目標や対策が不適切で、生存権を侵害していると非難した。高齢者は気候危機や熱波の影響を受けやすく、女性は男性よりも健康を害しやすいという研究も複数ある。 スイスの連邦行政裁判所と連邦裁判所(最高裁)は、排出削減に向け野心的な目標を掲げるよう連邦政府に求めた訴えを退けた。 そこで2020年、気候シニアは環境団体グリーンピース・スイス支部の支援を受け、欧州人権条約の複数の権利が侵害されているとしてECHRに提訴した。第2条の「生命の権利」や第8条の「私生活と家庭生活を尊重する権利」などだ。 ECHRが2023年3月に気候変動訴訟に関連する史上初の公聴会を開催し、期待が高まった。だが気候シニアのメンバー自身でさえ、9日のような前向きな判決は想定できなかっただろう。 「重要な帰結をもたらす前例に」 ECHRの判決には拘束力があり、スイス政府には判決に従う義務が発生する。気候ストライキのチューリヒ支部のジョナス・カンプス氏は声明で、「気温上昇を1.5℃に抑えるという世界目標を達成するために、連邦内閣(政府)と議会が可能な限りあらゆる措置を講じることを期待している」と述べた。 世界自然保護基金(WWF)はX(旧ツイッター)で「スイスもついに行動を起こさなければならない」と投稿した。スイス気候シニアの勝利は全世代にとっての勝利だとし、「重要な帰結をもたらす前例となる」と位置付けた。 グランサム気候変動環境研究所のジョアナ・セッツァー准教授はswissinfo.chに対し、9日の判決は「歴史的な勝利」だとメールでコメントした。 「ECHRによる画期的な判決は環境・気候関連法をめぐる先例となっただけではなく、気候変動に関する世界的な法的状況に大きな変化が起きていることを浮き彫りにした」 セッツァー氏は、判決が直接的に影響を与えるのは欧州評議会に加盟する46カ国だが、全世界にも余波が及ぶとみる。 「この判決は世界中の裁判所にとって、気候変動対策に関する国家の人権義務を解釈する際の重要な基準点となる」 編集:Veronica De Vore、英語からの翻訳:ムートゥ朋子

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