裕福→両親が離婚→貧困 壮絶半生のギャビー、初写真集発売で本名公表「正直でいられる一つの手段」

モデルのギャビー(27)がこのほど、都内で初写真集「FAITH」(講談社、12日発売)の記念イベントを行った。6日夜に放送されたTBS系「オールスター感謝祭」の人気企画、「赤坂5丁目ミニマラソン」では一時首位を独走する見せ場を作り注目を集めたが、その根性は壮絶な生い立ちを経て培われたものだった。

「JJ」専属モデルとして活躍する一方、Netflixのリアリティシリーズ「オオカミちゃんには騙されない」で注目を集める。日本と米国にルーツを持つが、その生い立ちは壮絶なエピソードに満ちたものだった。

ギャビーは1996年10月20日生まれ。アメリカ・ニュージャージー州で誕生した。母はラテン系アメリカ人、父は九州出身・アメリカ育ちのため、日本語は話せなかった。祖父母がアメリカで事業を成功させていたため、裕福な家庭だったという。

5歳だった2001年に父親が新しい事業を行うため、福岡県二日市に移住。翌年に日本に馴染めずに両親が離婚。母は帰国した。ギャビーが20歳になるまで連絡はしないと家族内で約束したという。その後、父親が家に帰ってこなくなり、突然生活が苦しくなった。

03年に小学校に入学時、離婚後1人目の母親が来る。いい人で慕っていた。日本語が話せず、学校では落ちこぼれる。友達ができず、容姿を理由にイジメられる。あだ名は「宇宙人」。運動神経がよく、体育は常に1番だった。犬、猫、こうもりと一緒に暮らす生活が始まる。お金がなく、ケガや病気をしても病院には行けなかった。骨折は自分で固定して治し、ニキビには歯磨き粉を塗って治した。傷にはアロエを貼れば治ると思っていた。

小3でモデルに憧れ始める。小5〜6でヤンキーになり、グレる。母親はいなくなり、父親は旅に出てばかりでほぼ不在に。親がいないため、親戚宅で預かってもらうが馴染めず、秘密基地やカラオケで夜を過ごすようになる。

09年に中学校に進学。離婚後2人目の母親が来るが馴染めなかった。バスケ部に入部しようと思うが、見た目を理由に拒否され、ヤンキー度合いが加速。中学時代のあだ名は「金髪ハリケーン」になる。

15歳で2人目の母親がいなくなる。中学卒業前に久しぶりに家に帰ると、家がなくなっていて更地に。親族から住み込みで旅館の仲居を勧められたが、夢だったモデルになるため上京を決意。

16歳になる12年、中学卒業と同時に上京。初日に渋谷109で雑誌「BLENDA」にスカウトされる。正式に上京するまで、地元・福岡に恩返ししたいと考え、ヤンキー時代の仲間と「Gレボリューション」を結成し、ゴミ拾いを行う。地元紙から取材されるまでに。後に正式に上京し、「BLENDA」専属モデルとしてデビューした。

専属デビュー半年後に「BLENDA」が廃刊。その後すぐに「Happienuts」の専属モデルに抜擢されるが、わずか1年後にまたも廃刊。この頃から水着メーカーの「PEAK&PINE」のモデルを4年ほど務める。

18歳の14年。プロデュースしたカラコンがバカ売れし、発売初日にサイトがパンクするほどの人気を集める。楽天市場の売り上げランキングはモデル・ローラを抑えて1位になった。しかし、20歳で当時所属していた事務所が解散となり、フリーに。並行して、保育園の保育補助のアルバイトを2年間行う。

22歳の18年、現在の事務所への所属が決まり、1回目の顔見せその場で「JJ」専属モデルになる。

そして23年、Netflixの恋愛リアリティシリーズ「オオカミちゃんには騙されない」に出演し大きく話題に。また、「with」にてSDGsに関する連載「無知ってほんとに自己責任?」をスタートした。

ほかにも壮絶なエピソードが満載だ。

・極貧の家庭で満足な食事を与えられず、家の向かいにあるパン屋でパンの耳を無料でもらい、空腹を満たす日々を送っていた。

・学校用具を十分に揃えることができなかったため、クレパスをはじめ、授業で使う用品はいつも落とし物ボックスで見繕っていた。リコーダーも買えず、知人のお古を使用していた。

・見かねた学校の校長が前日の給食を残しておいてくれて、毎朝それを食べていた。また、地域のおばちゃんたちと仲良くなり、自宅に招いてもらい夕飯をごちそうになったり、食べ物をもらったりして生活をしていた。

・貧乏で買えなかった携帯電話は、初めてできた彼氏からもらい初めて所有したが、束縛が激しく、他の男性と連絡したことがバレてボコボコにされ、それを田んぼに投げ捨てて逃亡した。

そんなギャビーだからこそ、記念すべき初写真集は自身の思いをたっぷりと反映させた。8カ月かけた体作りでは「お尻に目覚めた」とヒップを鍛え、納得の美ボディを獲得。「100点満点以上です。スタッフに恵まれて、完璧な写真集になってます。モデルとしてのグラビアを表現したくて、媚びを売るような写真集ではない。自分のスタイルを最大限にキレイに見せたかった」と手応えを口にした。

また、生い立ちを赤裸々に明かした今写真集を機に、ギャビーは「写真集のコンセプトが『さらけ出す』というものがありました。厚い化粧もせず、スタイルも隠さずに全部出しました。そんな時に本名を出す、というのが、私の中で一皮むけた、正直でいられる一つの手段だった」と、本名を公表した。自身のX(旧ツイッター)トップ画像にある通り、本名はガブリエラ・フェイス・ジェイド(GABRIELLA-FAITH JADE)。信念を意味するセカンドネーム「FAITH」は、写真集のタイトルに採用された。

人生に苦しむ若者に向けて「頑張れば夢は叶うという言葉は、すごいエゴに聞こえるようなことはあると思うんですけど、ひと以上に努力したら叶うというのを写真集に込めました。少しでも誰かに勇気とか後押しできるような作品になればいいなと思い、一生懸命作りました」と呼びかけた。

ともに暮らすことが少なかった両親に対しても、現在は「世界で一番愛しています」と言い切った。米国から祖母が来日中といい、「初めて自分の仕事を間近に感じてもらいました。写真集と感謝祭を見てもらい、泣きながら『お尻が綺麗だった』って言ってくれました」とうなずいた。

そんなギャビーの信念を問われると「小さい頃から根底にあったのは、人のことを疑ったり、受け入れないことはなかった性格。自分自身にもネガティブなところには一切目がいかないから、ポジティブにどうしても前に行っちゃう。他人を信じる、自分を信じることを大事にしてきました」と返答した。

そして「お父さんからは『自分以外は信じるな』『人のせいにするな』『全部自分で決めろ』と言われてきました。自分で選べば、人のせいにはならない。写真集でも全ての面に自分が関わることによって、カメラマンさんの大変さ、スタイリストさんの一生懸命さ、それらをちゃんと知っていくと、人のせいにはできない。全部自分でやったんだったらしょうがないや、と思うと、(困難に直面しても)しょうがないから次、と乗り越えられてきました」と続け。写真集タイトル通り、自身の信念を語る姿勢に迷いは見えなかった。

(よろず~ニュース編集部)

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