【いいな、いい電。飯坂線100周年】(上) 欠かせない地域の足 乗客減、コロナ禍も影響

飯坂線や温泉街の思い出を振り返る二階堂さん

 福島交通飯坂線は13日、開業100周年を迎える。1924(大正13)年4月13日に福島市の福島駅(現在の曽根田駅)と飯坂駅(現在の花水坂駅)間の9.0キロで運転を開始した。「いい電」の愛称で親しまれ、通勤・通学をはじめ、「奥州三名湯」の一つに数えられる飯坂温泉の観光客らに利用されている。「次の100年」に向けた課題や展望を探る。

 福島駅と飯坂温泉駅を結ぶ全長9.2キロに12ある駅を23分かけて走る。飯坂温泉街に生まれ育ち、実家が土産物店を営んでいた二階堂信子さん(84)は「いい電が福島の発展に果たした役割は計り知れない」と感謝する。

 1950年代、自宅に乗用車はなく、路線バスの本数も少なかった。住民や観光客が温泉街と市街地を行き来する際、電車利用が主だったという。自身も父に連れられ、電車に乗って福島駅前に向かい、洋食店でハヤシライスなどを食べたことを鮮明に覚えている。

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 「いい電のおかげで飯坂は一大温泉地になった」。当時、飯坂線を利用する宿泊者が多く、飯坂温泉駅前では旅館の番頭が法被姿でのぼりを手に、宿泊客を出迎えていた。新婚旅行先としても人気で、スプリングコートをまとい、おしゃれな帽子をかぶった女性と背広姿の男性の若いカップルでにぎわっていたという。実家の土産物店はいつも観光客が詰めかけ、年中無休だった。高度経済成長の波に乗り、沿線には団地や商店などが立ち並んだ。「いい電はこれからもなくてはならない。世代を超えて乗り続けていきたい」とほほ笑む。

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 開業当時、5両だった営業車両は14両に増え、所要時間は約52分から大幅に短縮された。沿線には、福島、福島工、福島北などの高校もあり、通学にも欠くことのできない路線だ。しかし、近年は少子化や温泉街への宿泊者数減少など社会情勢が大きく変化している。2022(令和4)年の年間乗客者数は約220万人で1975(昭和50)年の約630万人に比べ3分の1近くに減った。沿線では住宅整備が進むが、マイカーの普及もあり、乗車客の増加には直結していない。コロナ禍も拍車をかけた。

 一方、「飯坂線は豪雨や地震などの災害に強い」と定評がある。事故以外で止まることはほぼない。路線が短いため災害時の対応に要する時間が短く済むためだ。実際、東日本大震災で線路や電線に被害が出たが、被災3県の鉄道では最も早く震災から46時間後に運転を再開した。運転士の一ノ瀬陽介さん(46)=福島市出身=は、利用者に語り継がれる「いい電は止まらない、いい電最強説」の維持に使命感を抱いている。「信頼される鉄道としての評価をさらに高め、利用につなげたい」と誓う。

通勤・通学などで飯坂線を利用する乗客。地域住民らの足として欠かせない=10日午前8時ごろ、飯坂温泉駅

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