『虎に翼』伊藤沙莉が法律に見出した希望 「法廷に正解はない」穂高教授の言葉が示すもの

『虎に翼』(NHK総合)第9話は、判決を読み上げる裁判長のシーンで終わった。

よね(土居志央梨)を追って裁判所を訪れた寅子(伊藤沙莉)は、峰子(安川まり)の裁判を傍聴する。峰子は母の形見の着物を返してほしいと夫の甚太(遠藤雄弥)を訴えた。妻の財産は夫に管理権がある。離婚裁判は控訴審で争われており、峰子と甚太は依然夫婦であるため、着物を夫から取り戻すことはできない。納得できない寅子は、穂高(小林薫)に何か方法はないかと質問する。穂高は学生たちに考えてみるように促した。

寅子たちは、妻の請求が認められるにはどうすればいいかを話し合う。寅子たちというのは、涼子(桜井ユキ)、梅子(平岩紙)、香淑(ハ・ヨンス)のお昼を一緒に食べる仲間で、よねも誘われて一緒にいた。「着物は諦めて離婚成立を優先すべき」と梅子は言い、新たな人生を歩むべきと意見を述べた。食い下がる寅子に、よねは「そもそも男と女、同じ土俵に立ててすらいない」と突き放した。

この時代、女性には参政権がなかった。家制度の下で女性は家督を継げず、遺産も相続できなかった。姦通罪は女にだけ適用され、あからさまに男女間で格差があった。女性は男性の庇護の対象であり、支配下にあったと言える。そのことは、必ずしも女性に不利なだけではなく、男女平等を主張する穂高自身、妻が財産上無能力であることで守られている側面もあると著書で記していた。一方で「妻を一個の人格者として考えるならば恥ずかしい保護」であるとも述べている。

夫の保護を拒めば「女にとっての茨の道が待っている」と涼子は言う。これが現実であり、女性の自立を阻む分厚い壁が、社会構造そのものとして存在していた。峰子の裁判では、法律上妻に所有権は認められないため、どうあがいても敗訴の結論になってしまう。悩んだ末に、寅子は裁判長の判断を見届けようと学生たちに傍聴を呼びかけた。男性より劣位に置かれていた女性が裁判所に行くことの意味合いは大きい。裁判官と弁護士に女性はなれず、女性が法律に関心を持つこと自体が画期的なことだったと推察される。

『虎に翼』は二層構造でできている。寅子が弁護士になるために奮闘するストーリーは、男女間の不平等が背景にある。不平等をもたらしているのは当時の法制度である。私たちが主人公の言動に一喜一憂し、感情移入するドラマの基底には、網の目のように張り巡らされた法律のレイヤーがあり、法律を読み解くことは、当時の女性たちが何と闘っていたかを知るうえで欠かせない。

六法をめくる寅子はある条文に目がとまった。戦前の民事訴訟法185条は自由心証主義を規定する。自由心証主義は、弁論の全趣旨を考慮して、事実認定と証拠の証明力の評価を裁判官の自由な判断にゆだねる裁判の原則で、現行民事訴訟法では247条で規定される。裁判官は法律にのっとって判決を下すが、当事者が提出した主張と証拠をどのように評価するかは個々の判断に任される(例外もある)。

「法廷に正解はない」と穂高が言ったことは、このことを指すと思われる。要件を満たせば同じ効果が発生するのが法律のルールで、そのことから一定の結論が導かれる。一方で、個別の事情を考慮すると、必ずしもルール通りに裁くことが適当と言えないケースもある。そのような場面で裁判官の自由心証が果たす役割は大きく、寅子はそこに希望を見出した。妻からの着物返還請求事件で、裁判長の田中(栗原英雄)は一人、熟考している様子だった。未来を担う法律家の卵たちの前で、裁判長はどんな判断を下すだろうか。
(文=石河コウヘイ)

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