元横綱・貴乃花光司 【全文掲載】相撲教習所からの“ライバル”曙太郎さんの逝去を悼む「百折不撓の人生観だったと思います」

2024年4月11日 元横綱の曙太郎さんの訃報を受け、ともに1990年代の相撲ブームをけん引した元横綱の貴乃花光司さんがコメントを発表しました。

【写真7枚】元横綱・貴乃花光司 曙太郎さんの写真

貴乃花光司さんは冒頭、「哀悼の意を表します。」と一文を綴ったのち、「数々の闘いの思い出がありますが、相撲教習所に半年間通った頃の稽古の思い出が出てきます。 土俵は3つあり130 名ほどでA土俵B、C と分かれます私たちは、A 土俵において猛々しく取組に励みました。」と、相撲教習所時代から切磋琢磨を繰り返してきた曙さんとの思い出を記しました。

さらに、「ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています。」と、国を超え曙さんの家族とも交流があったことを明かしました。

1990年代に若貴兄弟とともに空前の相撲ブームをけん引した曙さん。その姿を間近で見てきた貴乃花さんは、最後に「百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに。」と故人へのリスペクトを込めたメッセージを綴りました。

【貴乃花光司さんのコメント全文】

哀悼の意を表します。
数々の闘いの思い出がありますが、相撲教習所に半年間通った頃の稽古の思い出が出てきます。
土俵は3つあり130名ほどでA土俵B、Cと分かれます 私たちは、A土俵において猛々しく取組に励みました。

ハワイ諸島から来日し今日に至るまで日本の文化を感じて幾多の苦労があったかと思います。
ハワイ巡業の際には地元ご家族も来ており、穏和な挨拶を交わしたことは新しい記憶のように思い出しています

百折不撓の人生観だったと思いますが、これからは身を楽にして安らかに。

第六十五代横綱 貴乃花光司

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