元横綱・曙太郎さん死去 医師も「31歳にして老人」と指摘、本誌に激白していた「悲痛引退」の“原因”

2001年2月、力士引退直後に本誌のインタビューに応じた曙太郎さん

外国人初の横綱として、若乃花・貴乃花らとしのぎを削った、第64代横綱「曙」こと曙太郎さんが、心不全で亡くなっていたことがわかった。54歳だった。7年前に北九州市で倒れて以来、闘病生活を続けていた曙さんは、東京近郊の病院に入院していたという。

「曙さんは1988年の春場所で初土俵を踏み、1992年夏場所で初優勝し、場所後に大関昇進。1993年初場所で2場所連続優勝を果たし、第64代横綱に昇進しました。2mを超える長身を生かした突き押し相撲で、11回の幕内優勝を遂げた一方、膝のケガに悩まされ続け、2001年の初場所を両膝悪化で全休。回復が見込めないことから『横綱として、みじめな姿で土俵に上がれない』と、現役を引退しました」(スポーツ紙記者)

2001年2月、引退して間もない曙さんは、本誌の取材にこう答えていた。

「引退するって口に出したら、力士は終わり。毎場所のように膝が痛み、膝に爆弾を抱えているようなものでした。痛み止めを打って、体をだましだまし、相撲を取っていたんです……」

曙さんの、膝をめぐる苦悩は10歳のときからだったという。

「10歳のときに、アメフトで横からぶつけられて、半月板を損傷して手術したんです。それがずっと尾を引いて、中学・高校時代も痛かった。アメリカで車を運転していたときも、障害者用のステッカーを貼っていたほどですからね。新弟子時代も痛みはあって、入門当時から膝にサポーターをつけて稽古をしていました」

当時、整形外科医として曙さんの主治医をつとめていた土屋正光氏(現・同愛記念病院名誉院長)は、曙さんの膝の状態について次のように話していた。

「曙が最後にうちに来たのは、去年(2000年)の12月19日でしたね。膝の具合が悪いから初場所(1月)は休場したいということでしたが、痛み止めの薬を飲むと心臓が苦しくなると訴えてましたから、これは相当、深刻なんだなと……」

取材時の曙さんは、本誌に向けて膝のレントゲン写真も公開。膝と膝の間の軟骨がすり減ってしまった変形性膝関節症の状態で、31歳にして「老人の膝」になってしまっていた。土屋氏は「いちばんの原因は太りすぎ」として、早急に体重を減らさなければいけないと指摘していた。

それは、曙さん本人もわかっていたようで、「相撲取りとしては太りすぎたのが直接の原因かな。膝への負担が大きすぎる」と反省。

「とにかく、いまはやせようと思ってます。いま、230kgだから、なるべく早く200kgくらいにしようと……もう相撲を取らなくていいから、薬は飲みたくないね、体に悪いですから。もう、メスも入れたくないですよ」

そんなふうに語っていた。

現役時代、膝のリハビリがうまくいかず「奥さんに八つ当たりしたこともあった」と、苦笑しながら反省していた曙さん。亡くなる直前に、夫人へ伝えた最後の言葉は「アイ・ラブ・ユー」だったという。合掌。

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