「意思や決意は役に立たない」ギャンブル依存症、10年で1000万円超 のめり込み、借金、孤独…山陰の当事者が苦しさ語る 

パチンコ店のスロット(イメージ)

 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手の元通訳で、ギャンブル依存症を告白したとされる水原一平さんの違法賭博問題が論議を呼ぶ中、山陰にもギャンブルをやめられない人がいる。当事者はのめり込み、借金を背負い、孤独に陥る苦しさを抱える。「意思や決意は依存症の前では役に立たない」とし、正しい知識が治療につながると訴える。

 「借金が重なるとうそをついて隠していた。罪悪感はあったがギャンブルのない生活は考えられなかった」。米子市在住の会社員ヒロさん(38)=仮名=は、パチンコに依存していた約10年間を振り返る。

 21歳のとき、友人に誘われてパチンコ店に行き、ビギナーズラックで3万円ほど勝ったのが始まりだった。社会人1年目で給料も少なく、簡単に稼げる楽しさにのめり込んだ。

 給料やボーナスが入ればパチンコにつぎ込み、貯金は常になかった。使った額は10年で1千万円を超え、銀行のカードローンから200万円ほど借金もした。「生活費が足りない」とうそをついて親からも金を借りた。

 稼ぐというより、ストレス発散で行くようになっていた。仕事でうまくいかなくても勝った瞬間は自己肯定感が上がり、優越感に浸れた。負けたときは自己嫌悪に陥り「もう行かない」と思うが、次の日には店に向かっていた。妻には会社に行くと言い、仕事を休んでパチンコをした。だめだと分かっていてもコントロールできないのが一番苦しかった。

 5年ほど前、ギャンブル依存症当事者が集まる相談会で、同じ症状に苦しむ人に出会い、初めて依存症だと気づいた。パチンコ店の前を通らないなどギャンブルにつながる行動を避け、自身のストレスの原因を他の当事者に話し、助言をもらうことでストレスの捉え方が変わった。2カ月程度でパチンコに行かなくなった。

 パチンコを控える中、「また行ってしまった」と当事者に気軽に話せることが大きかった。家族に怒られるから言えず、借金を背負い、また隠してしまう孤独があった。「病気だとは知らず、自分の意思が弱いと思っていた。正しい知識を身につけることが治療につながる」と話す。

 県の専門医療機関に指定されているこなんホスピタル(松江市宍道町白石)の福田賢司院長は「性別や年齢に関わらず誰でもなり得る病気。同じ悩みをもつ人とつながり、一人ではないと知ることが回復への一歩になる」と話した。ギャンブル依存症の相談は、両県の各保健所や専門医療機関、自助グループなどで受け付けている。

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