温厚だった曙さんが〝プロレス初戦〟で見せた「怒り」と「スモウLOVE」

WWEスマックダウンで四股を踏む曙。右はビッグショー(2005年3月29日)

【取材の裏側 現場ノート】大相撲の元横綱・曙太郎さんが、心不全のため54歳で死去した。2003年に角界を去ると、格闘家に転向。K―1マットに上がった後は、プロレスラーとして全日本プロレスの3冠王者になるなど大活躍したが、曙さんの心の中にはいつも「スモウLOVE」があった。

元横綱がプロレスに参入した05年、記者は米WWE遠征に同行している。同年3月29日にテキサス州ヒューストンで行われた〝プロレス初戦〟も現地で取材した。試合前のバックステージで曙さんにあいさつに行くと、温厚な横綱が珍しく怒っていた。何でも、日本で掲載された大相撲に関する曙さんの本紙記事が、気に入らないのだという。

もちろんテキサスにいる記者が書いたものではなかったが、それまでの取材ではハワイでテレビ観戦したプロレスの思い出や、好きな必殺技が「サモアンスパイク(親指突き)」だと上機嫌で語っていただけに、少なからず驚いた。曙さんはなぜ怒ったのか? イスに腰を下ろした横綱が発した言葉は、今でもはっきり覚えている。

「こっちの世界に来ても、オレの中心は相撲、相撲なんだよ。オレと相撲の関係がおかしくなるような記事はやめてほしい」

世界最大プロレス団体の会場で「スモウLOVE」を力説。いかにも一本気な横綱らしかった。続く4月3日のプロレス祭典「レッスルマニア21」(ロサンゼルス)では、大巨人ビッグショー(現AEWのポール・ワイト)とプロレスルールではなく、なぜか「スモウマッチ」で対戦。しかも、現地で調達した本物のまわしをつけ、行司まで連れてきていた。

〝取組〟はもちろん、曙さんが豪快に大巨人をぶん投げて勝利した。とはいえ…元横綱がプロレスラーに相撲で勝つのは、当たり前のこと。大巨人とのド迫力ファイトを期待していたプロレスファンにとっては、拍子抜けもいいところだ。それでも、祭典翌日の曙さんは「相撲をアピールできて良かった」などと満足げで、あふれる相撲愛を隠そうとしなかった。

プロレスラーになっても、曙さんの呼び名は「横綱」。本人にとってもそれは譲れないものだったに違いない。合掌。

(プロレス担当・初山潤一)

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