曙さんをステーキハウス・リベラ店長が追悼「あそこまで気を使える人いない」 横綱ステーキ誕生秘話も

リベラでステーキを頬張る曙さん

大相撲の第64代横綱でプロレスラーとしても活躍した曙太郎さんが心不全のため死去した。54歳だった。訃報を受け、親交のあったステーキハウスリベラ目黒店の山口敏彦店長(48)が追悼した。

曙さんは自宅が近所だったこともあり「多いときは毎日のように来ていましたね」と足しげく通い、同店が大のお気に入りだった。「また帰ってきてくれると思ったので…。突然のことで何と言ったらいいのか分からないです」と山口店長は悲しみに暮れた。

曙さんは土俵やリング上で見せた闘争心あふれる姿とは対照的に、普段は温厚だったという。「周りにいつも気を使って本当に優しい方でした。笑いを絶やさなかった。年下や若い人たちの面倒もよく見る親分肌のような感じでした。お客様の求めに写真撮影も気持ちよく受けていた。横綱まで行かれた人で、あそこまで周囲に気を使える人はいないんじゃないかと思いますね」とその人柄をしのんだ。

巨漢を誇った曙さんだけに食べっぷりは豪快。「多い時は〝横綱ステーキ〟を2枚くらい食べてましたね。それでも体のことを考えて腹八分だと言ってました」。いまや看板メニューとなった横綱ステーキ誕生の秘話も明かしてくれた。

「うちは1ポンド(約454グラム)ステーキが一番大きかったけど、曙さんが来た時には足りないから勝手にこっちで気を使って大きいのを出していた。そうしたらお客さんが『曙さんのステーキ大きいよね、あれはメニューにないの?』と言われるようになった。それで曙さんが『おれは64代横綱だから、それにちなんだ640グラムで』と。曙さんの要望もあって作りました」。これが大きな反響を呼び「いろんな格闘家やレスラーの方々が『おれも曙さんみたいにメニューを作ってほしい!』と言ってきて、いくつかできた。特にバダ・ハリ(初代K―1ヘビー級王者)さんは曙さんのことをすごく尊敬していて『作ってくれ』と言ってきました」と依頼が殺到したという。

まさにカリスマ性あふれる大横綱だった。

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