曙さんが貫いたプロレス愛「不整脈を完全に治すなら、プロレスを辞めるしかない」

全日本時代は3冠ヘビー級王者として団体の顔に(2014年)

【取材の裏側 現場ノート】「今度こそ危ないかもしれない」。曙さんが全日本プロレスで大暴れしていた当時、選手やスタッフからこのフレーズを何度聞いたか分からない。持病の不整脈を抱えながら、それでもリングに上がり続けた。

中でも2014年は深刻だったと記憶している。試合中にせき込むなど肺炎の症状が悪化し、約3週間入院。完治しないまま「チャンピオン・カーニバル」にも強行出場を続けたが、秋山準社長(当時)やドクターからついにストップをかけられた。興行に穴をあけたくない3冠ヘビー級王者としての使命感からだったが、文字通り命を削っていた。

不整脈が悪化し、6週間の入院。2か月ぶりに再会した曙さんは疲れた様子で、薄笑いを浮かべながらこう言った。「命が危ないところまでいった。医者に怒られました。5キロ(のダンベル)がこんなに重いとは思わなかった」。無理を重ねたことで電気ショックなどあらゆる治療を施しても不整脈がぶり返した。最終的にはカテーテル手術(心筋焼灼術)で症状は落ち着きをみせたが、体重は30キロ落ち、筋力も著しく低下した。

そんな状態でもリングに戻る決意は揺るがなかった。「不整脈を完全に治すなら、プロレスを辞めるしかない」。それだけプロレスを愛していた。

試合会場で個別に取材を申し込むと「うるせえ、東スポ。あっち行け!」と豪快にあしらわれながらも、しばらくすると「で、今日は何ですか?」と結局は真摯に応じてくれた。ひとまず一蹴するところも含めて曙さん流のイジりだったのだと思う。そんな陽気な性格でありながら電話に出れば、年下の記者に対しても第一声は必ず「お疲れさまです」。元横綱のプライドを持ちながら礼節を欠くことはなかった。

長い闘病生活を終えた曙さん。天国のリングで思う存分、暴れてほしい。合掌。

(元全日本プロレス担当・大島啓)

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