テスラの電気自動車、おしゃれなカフェ…イケてる会社の福利厚生は何のため? グーグルの元エンジニアと訪れた本社で見た光景

(※写真はイメージです/PIXTA)

GAFAなど海外の大手IT企業の職場の様子を見て「こんなところで働いてみたい!」「福利厚生が充実しているんだろうな」と思う人は少なくないでしょう。しかしながら、過ごしやすい“職場”を用意することだけが福利厚生なのでしょうか。本稿では、有名デザインコンサル会社IDEOの元デザインリードであるシモーヌ・ストルゾフ氏による著書『静かな働き方』(日経BP 日本経済新聞出版)の第7章「さらば、おいしい残業特典」から、Googleで6年間働いていたソフトウェアエンジニアのブランドン氏と著者が一緒にGoogle本社のキャンパスを見学する一幕を抜粋します。社員にとって“本当の福利厚生”とは何なのかについて考えてみましょう。

オフィスのドアに取り付けられた「錠前」が担う“役割”

29歳のソフトウエアエンジニア、ブランドン・スプレイグと共にカリフォルニア州レッドウッドの木立を歩いている。髪を伸ばしっぱなしにしているブランドンは、筋トレに毎朝励む若き日のダスティン・ホフマンと似ている。裾がはみ出た青いシャツにグレーのチノパン、足元はコンバースのカラフルなスニーカーといういで立ちだった。スニーカーの柄は、自作したアルゴリズムでカスタマイズしたものだそうだ。

頭上には、ピンクと紫の夕焼けが北カリフォルニアの空を優しく照らしている。通りの左側には置き去りにされたおもちゃのように、鮮やかな赤、黄、青の自転車が散乱していた。右側には草の中から真っ白な看板が顔を出している。そこには小学生にも読みやすい字で「グーグルへようこそ」と書かれていた。

ブランドンにはお馴染みの道だ。6年間グーグルで働いていた時の通勤ルートだったのだから。テスラの電気自動車や食事の提供トラックが並ぶ駐車場を抜けて(社員ならクルマの充電と食事は無料)公園内の木立を進み、フィットネスセンターと2つのおしゃれなカフェ(社員食堂ではない)、小さなせせらぎを越えた先にブランドンの職場があった。

こうして歩いていても、どこからどこまでがグーグルのキャンパスなのかは見当もつかない。

近くのサッカー場からは歓声が聞こえる。「厳密に言えば、あれはマウンテンビュー市のものだ」とブランドンは話す。「でも、グーグルが維持費を負担しているんじゃないかな」

有機農園、小さな滝、そして「グーグルマップ」の涙形アイコンの大きなレプリカの前を通り過ぎた。テニスコート、医者が常駐するクリニック、回転寿司のレストランもある。ここに勤めたら絶対に辞められないだろう。

「建物の外観は変わらないけど、よりグーグルらしくするために中身はいつも改装している」とブランドンは話す。「グーグルらしさ」がどんなものなのかを知ろうと、オフィスのガラスに額を押し付けて中を覗いてみた。偽物のヤシの木がデスクに影を落としている。カーペットの敷かれた廊下には空気でパツパツのビーチボールが置かれ、壁一面には「ワイルド」の文字がグラフィティアートとして描かれていた。僕もブランドンも社員ではないので中に入ることはできない。

よそ者を中に入れないのは当然である。世界中から観光客が訪れ、グーグルのキャンパスに点在する彫刻の写真を撮っているのだ。しかし、火曜日の夜7時、ノートパソコンの光に照らされたグーグル社員たちの群れの横を通り過ぎたとき、錠は両方向にかかっているように思えてならなかった。

1日の労働時間を引き延ばす制度は「福利厚生」と呼べるのか

グーグル創業者のセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジが生まれる何十年も前、ジョージ・オーウェルやオルダス・ハクスリーのような作家たちは、『1984』(角川文庫)や『すばらしい新世界』(講談社文庫)でテクノロジーが人類を支配するディストピアを描いた。

「オーウェルは、人類はテクノロジーがもたらす抑圧に屈すると警告した」とメディア理論家のニール・ポストマンは説明する。「しかし、人々から自律性、成熟性、歴史を奪うのにビッグブラザーは必要ないというのがハクスリーの考えだった。人々は抑圧された状況を喜び、考える能力を奪う技術を崇拝するようになると考えたのだ」

キャンパスを歩いていると、テック企業で働いていたときのことを思い出した。ジャーナリストになる前に働いていたスタートアップでは朝は温かい食事、夜はヨガのレッスンが提供されていた。ベンチャーキャピタルから調達したお金で会社はさまざまな特典を用意していたのである。

でも、今思い返せばこうしたものは社員を朝8時前から職場に来させ、日没後まで留まらせるものだ。そして社員も、ほぼ無意識に運転する長距離ドライバーのように、考えもなしに朝早くから夜遅くまで会社に通っていた。仕事が人生の中心になり、どの日がどの日だったか区別できないほど毎日が同じことの繰り返しだった。

1日の労働時間を引き延ばすこうした制度は、実のところ「福利厚生」でもなんでもなかったのである。


ニール・ポストマン「Amusing Ourselves to Death: Public Discourse in the Age of Show Business(死を楽しむ:ショービジネス時代の公共議論)」(New York: Penguin Books, 2005), xix.

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