【達川光男連載#46】40年近く経過した今でも、夢に見るほど後悔している工藤公康への配球

日本シリーズでサヨナラ打を放ち、舌を出して喜ぶ工藤

【達川光男 人生珍プレー好プレー(46)】1986年10月23日、カープとライオンズの日本シリーズは西武球場で運命の第5戦を迎えました。試合は1―1のままシリーズ2度目の延長戦に突入。勝負を分けたのは12回裏でした。

11回まで7安打1失点と力投を続けていた先発の北別府学が先頭の辻発彦を四球で歩かせ、伊東勤の犠打で一死二塁。二塁を守っていた木下富雄さんが左脇の下にボールを挟んで隠し球を狙うも不発に終わり、ベンチは抑えの津田恒実へのスイッチを決断しました。

ここで少し不安だったのが津田の指です。血行障害に悩まされてきた彼にとって、デーゲームながら寒風吹きすさぶ所沢の夕暮れ時は決して恵まれた条件ではありませんでした。第4戦までに3試合に登板して計4回1/3を無失点と結果は出していましたが、本人からも「どうにも指が温もらんのです。触ってみてください」と聞かされていました。確かに触ってみると冷たかったんです。

それも計算に入れるべきでしたが、私はそのまま打席に入った投手の工藤公康への初球に内角直球を要求しました。直前の攻撃で死球を受けていたこともあり、少しビビらせてやろうと思ったからです。津田の直球ならバットに当てられても手がしびれて、次の回の投球に影響が出る可能性もありますからね。

前年の日本シリーズからDH制が採用されましたが、隔年だったため86年は全試合でDHなし。交流戦もなくレギュラーシーズンで打席に立つことのないパ・リーグの投手にとっては不利な条件でした。しかし、相手は名古屋電気高(現愛工大名電)時代に甲子園大会や、愛知県大会でのちに巨人で活躍する大府高の槙原寛己からも本塁打を打っている。そう考えたら1ボールからの2球目も内角へ要求したのは完全な配球ミスでした。

内角球を読んでいたのでしょう。工藤は早めに腰を開き「1、2、3」のタイミングでバットを振り抜くと、右翼線にライナーではじき返されました。前進守備を敷いていた右翼の山崎隆造をあざ笑うかのように打球が転がる間に二塁から辻が生還。痛恨のサヨナラ負けでシリーズの流れはライオンズへと傾き、カープは3連勝からの4連敗で2年ぶり4度目の日本一を逃しました。

なぜ、あんな配球をしたのか? いくら直前に死球を食らっていたとはいえ、なぜ冷静になれなかったのか? 安全に外角中心でいくべきではなかったのか? 40年近くが経過した今でも、あのシーンを夢に見るほど後悔しています。人から責められたことはありませんが、それぐらい大きなミスでした。

それから20年以上が経過し、まだ横浜で現役を続けていた工藤から「大野(豊)さんと会って話してみたい」とお願いされ、トレーナーも交えて4人で食事をしたことがありました。長く現役を続けるための心得を聞きたかったようです。その席上で86年の日本シリーズ第5戦の話題となり、ここまで書いてきたようなことを話すと、工藤は「まだ悔いているんですか」と驚いていました。

そんな縁もあり、2017年には工藤監督率いるソフトバンクから一軍ヘッドコーチとして招かれるのですから人生とは不思議なものですよね。

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