「平成の太刀山」と言われた曙太郎さん 「四十五日」の意味を即答したクレバーさ

曙太郎さん(左)の豪快な相撲は「平成の太刀山」と称された

54歳で死去した元横綱の曙太郎さんに対し、訃報から一夜明けた12日もテレビ各局で惜しむ報道が続いた。同期生の若貴兄弟に先んじて出世街道をまっしぐら。幕内初優勝こそ貴花田(後の横綱貴乃花)に後れを取ったが、その1992年初場所はある意味、圧巻だった。

この場所、平幕ながら史上最年少19歳5か月で幕内初優勝を遂げた貴花田に唯一、土をつけたのが小結だった曙さん。3日目、もろ手突きから左おっつけ、右のど輪で攻め、最後はボクシングのストレートのように伸びた右の力で豪快に押し倒した。翌4日目には平幕の若花田(後の横綱三代目若乃花)を突き倒しで破るなど、若貴をまとめて倒して13勝2敗で準優勝の星を挙げた。

相手を土俵の外に「出す」にとどまらず、「押し倒し」「突き倒し」と倒して勝つのが真骨頂だった。204センチの長身から繰り出される突きは、明治末期から大正時代に活躍した第22代横綱の太刀山をほうふつさせ「平成の太刀山」「太刀山の再来」とも言われた。

太刀山の強さが「四十五日」という例えで語られるのは有名な話。45日は1か月半=「ひと月半」。これが転じて「ひと突き半」に。1回半の突きで勝負をつけられる脅威のパワー。その片鱗が曙さんに見られた。

本人も分かっていたようで、周囲から「四十五日」と言われ即座に「ひと突き半ですね」とニヤリと答えたとの話もかつて聞かれた。頭の回転が速く、当意即妙のやり取り。クレバーな頭脳も兼ね備えていた。

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