元横綱の曙太郎さん死去、54歳 初の外国出身横綱として相撲ブーム起こす

大相撲で初の外国出身横綱となり、相撲の人気復活をけん引した伝説的力士、曙太郎さんが今月上旬、心不全のため東京都内の病院で死去した。54歳だった。家族が11日、明らかにした。

米ハワイ出身。体重210キロ、身長2メートル3センチの巨体で、相手を土俵から突き出す独特のスタイルで知られた。

1993年に第64代横綱に昇進。通算11回の優勝を果たし、世界中の何百万人もがテレビを通して曙さんの相撲に見入った。

日本のメディアによると、曙さんは7年前に北九州市で倒れて以来、病気と闘っていたという。

曙さんの家族は、妻クリスティーンさんと娘、息子2人。

若貴兄弟と相撲ブームつくる

1969年に「チャドウィック・ローウェン」として生まれ、ハワイ・ホノルルで育った。1988年、相撲の道に進むため来日した。

同期生の若乃花、貴乃花の兄弟との有名なライバル関係は、人気が低迷気味だった相撲に新たな息吹を吹き込んだと広く評価されている。

初の外国出身横綱となっただけでなく、相撲への献身的な姿勢からも人気が急上昇し、相撲ファンに尊敬された。

月刊誌「相撲」の編集長だった下家義久氏は1993年、曙さんの相撲に対する真摯(しんし)な態度は、彼が外国人であることを忘れさせると話していた。

1996年に日本国籍を取得し、「曙太郎」となった。度重なる膝の故障のため2001年に引退。断髪式では友人や元ライバルら320人が曙さんの大銀杏(おおいちょう)を少しずつ切り落とし、その様子を1万1000人以上が会場で見守った。

曙さんは当時、思っていたより寂しいと心境を吐露。頭が軽くなったように感じるとし、髪の重さではなく、責任の重さが消えたからだろうと話した。

各界から悼む声

曙さん死去の報を受け、多くの人が追悼の意を表し、曙さんの強さ、謙虚さ、優しさをたたえた。

元若乃花の花田虎上さんは、「突然のことに送り出す言葉が全く見つかりません」、「切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く言葉では言い表せないものがあります」なとど自らのブログにつづった

ラーム・エマニュエル駐日アメリカ大使は、曙さんが「日米のかけ橋」となって両国の文化的結びつきを強めたと、

で称賛した。

元スポーツキャスターのニール・エヴェレット氏は、曙さんが日本でハワイを代表する存在だったとし、「州の重みをまるごと背負っていた」とたたえた。

追加取材:シャイマ・ハリル、小林智恵(東京)

(英語記事 Taro Akebono: Hawaiian-born Japanese sumo legend dies

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