武田修宏氏がサッカーと出会った幼少時を回想「寝たきりのおばあちゃんの面倒は自分が見て」

武田修宏氏

元日本代表FWの武田修宏氏(56)が、元日本代表MFの前園真聖氏(50)のユーチューブチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演し、幼少期から実業団時代を振り返った。

小学生時代は、同1年で始めたサッカーで頭角を現していた一方で、苦労も少なくなかった。武田氏は「決して裕福な家庭環境ではなかった。お母さんが看護師で、親父はギャンブル好きで、寝たきりのおばあちゃんの面倒は全部自分が見て、介護とかしていた。親父は、お金遣いが荒くて家にいない。借金の取り立てが来ていた」。それでも「サッカーと出会って非行じゃなくてまじめになった」と語った。

武田氏は小学校の卒業文集をコピーを持ち出して「僕は6年間いつも苦労していました」と始まる自身の文面を紹介。ただ、夢は大きくアルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナ(故人)を目標とすることも記しており、19歳の時にはゼロックススーパーカップで、南米選抜として来日したマラドーナと試合をした。そのときのツーショットも披露した。

サッカーでは、小中学生時代を経て、静岡の名門・清水東高に進学。サッカー部で1年時から10番を背負い、1983年度の高校サッカー選手権では1年生ながら得点王に輝くなどの華々しく活躍した。そのときの「武田が練習に来ると風がやむ」という伝説も明かされた。女性にモテモテだったからこそ、練習場が取り囲まれ、風通しが悪くなってしまったわけだ。

バレンタインデーには、チョコレートとファンレターが山のように届き、遠征先の鳥取にもファンの子が来ることもあったという。そんな高校時代には、女優・広瀬すずの叔母と交際していた。武田氏は「高校サッカー選手権の解説のとき、広瀬すずさんに『私の叔母さんと付き合ってましたよね』と言われて。(叔母さんの)名前を聞いたら、付き合ってましたという感じ。すごいキレイな方」と笑みを浮かべた。

また知られざるサラリーマン時代も回顧。高校卒業後、早大などからの誘いもあったが「どうせやるなら、一番強い読売クラブでやろうと思った。だから静岡第一テレビに就職して、読売クラブに出向。銀座4丁目に支社があるんだけど、そこに朝9時半から行って、(その前に)マックで朝飯食べて、電話対応を2時間ぐらいして、電車でよみうりランドに行っていた」と懐かしそうだった。

サラリーマン生活は4年ほど続いた。「1年目でMVP取ってだんだん変わったけど、当時は手取り22万円ぐらいで、住宅手当が出た。プロがない時代でも読売クラブは、1試合勝って10万円、負けてゼロ。プロっぽい感じだった」と語っていた。

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