『アバウト・シュミット』アレクサンダー・ペインの強い郷土愛が生んだホロ苦人生コメディ

ペインが描く人物像


アメリカ、ネブラスカ州オマハ。長年勤め上げた保険会社を66歳で定年退職したウォーレン・シュミットを待っていたのは、ただ、暇を持て余すだけの平凡な日々だった。そんなある日、長年連れ添った妻のヘレンが急死してしまう。そこでシュミットはヘレンの記憶を引きずりながら、娘のジーニーの結婚式を手伝うため、買ったばかりのキャンピングカーを自ら運転して、コロラド州のデンバーへ向かうことになる。

『アバウト・シュミット』(02)の主人公、ウォーレン・シュミットは、自分が思う自分と他者から見た自分との間に乖離があることに気づけないでいる。会社ではそれなりに尊敬されていると思っていたのに、定年後、若い後任者を訪ねて協力を申し出たところ体よく断られ、信じていたヘレンの生前の知られざる姿を知って激怒し、娘のジーニーとは思いのほか距離があることを知り孤独に苛まれる。自分はもっと立派な夫、立派な父親だったはずが、定年退職と同時に、彼が纏っていた薄皮は脆くも剥がれ落ちる。しかしそこから、シュミットの人生再生が始まるのだ。

『アバウト・シュミット』予告

アレクサンダー・ペインは、ままならない人生をどうにか立て直そうとする人物を皮肉たっぷりに描きながら、同時に優しく包み込むことも忘れない。ビターでウェルメイドなコメディの作り手だ。最新作『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(23)でも、クリスマス休暇を全寮制の寄宿学校で過ごすことになる皮肉屋の教師と、母親の都合で居残ることになった生徒、そして心に傷を持つ女性料理長が、微かな絆で結ばれていく過程を描いている。このテーマ設定はデビュー当時から変わらない。

監督2作目の『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』(99)では、生徒会長選挙に立候補した優等生女子の当選を阻止しようとするダメ教師の格闘を描き、『サイドウェイ』(04)では、離婚したショックを引きずりつつ、遊び人の友人とワイナリーツアーに出かける”小説家志望の高校教師”という痛烈なキャラを設定。『ファミリー・ツリー』(07)では、ハワイのホノルルに住む白人入植者の末裔という複雑な立場にある弁護士が、ボート事故で意識不明になった妻が離婚を考えていたことを知って怒るに怒れない様子が可笑しかったし、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(13)では、認知症気味の父親とその息子が、怪しげな懸賞金を受け取るためにモンタナからネブラスカまで旅するロードムービーだった。

こう並べると、ペインが描いてきた人物像と、そこから垣間見える人生、ペーソス、そこはかとない可笑しさには、共通点があることがよく分かる。

故郷、ネブラスカ州オマハ


もうひとつの共通点は物語の舞台だ。『アバウト・シュミット』の脚本は、ペインがUCLA在学中に書いたオリジナル脚本『The Coward』と、ポーランド人の作家ルイス・ベグリーの原作小説をミックスしたものだ。だがペインは、物語の舞台を原作に書かれてあるニューヨーク郊外の高級リゾート地ハンプトンズから、ネブラスカ州のオマハに変えている。言うまでもなく、オマハはペインの生まれ故郷だ。実際にシュミットの旅が撮影されたのは、オマハを起点に、ネブラスカ・シティ、ミンデン、カーニー、州都のリンカーンなど、ネブラスカ州内にほぼ収まっている。海を望むロングアイランドからアメリカ中西部の保守的な街に舞台が変わったことで、俄然ペインが得意とする地方都市の空気感満載のコメディに仕上がった。

『アバウト・シュミット』(c)Photofest / Getty Images

ペイン作品でオマハが登場するのは他にもある。麻薬漬けで無責任な妊婦が突然中絶議論に巻き込まれる『Citizen Ruth』(96)、『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』にもオマハが登場する。ペインがオマハ以外の場所で撮影した『サイドウェイ』のカリフォルニア、『ファミリー・ツリー』のハワイ、そして、『ホールドオーバーズ~』のマサチューセッツの場合は、どうしてもそこでなければいけなかった必然性がある。

そして、ペインは今もオマハに住んでいて、今年100歳になる母親の介護をしながら映画を作り続けていることが、”The Guardian誌”のインタビューで本人の口から明かされた。実際には、オマハの自宅とL.A.に借りているアパートの間を行き来しているとのこと。故郷への強い愛着が、ハリウッドのメインストリームからは背を向け、巨大資本とは無縁な作品を作り続けている原動力になっていることも確かなようだ。また、ペインは祖父の故郷であるギリシャの市民権を獲得していて、今後はギリシャを起点にヨーロッパで映画を作ることも視野に入れているのだとか。屈折した主人公と皮肉なユーモアは、むしろヨーロッパ的とも言えるし、活躍の場が一気に広がることが期待できそうだ。

ニコルソン現時点最後のオスカー候補作


話を『アバウト・シュミット』に戻そう。66歳で試練の旅に出かけるシュミットにとって唯一の心の拠り所は、アフリカの子供たちのための里親プログラムを介して知り合ったタンザニアの少年ンドゥグとの交流だ。そこには、いつも辛辣かつアイロニックでありつつも、最後には人物を肯定することを忘れない、ペインならではの思いやりが込められていて心が和む。

そのペインにとって、“シュミット役として念頭にあった唯一の俳優”だったのが、ジャック・ニコルソンだ。出演依頼の際、ペインはニコルソンに対してたった一言、『小さな男を演じて欲しい』と指示したという。小さな男、つまり、本当は何者でもない普通の男、という意味だ。そして、ニコルソンは見事に監督の期待に応え、うらぶれた初老の男の人生をファーストショットからその視線で表現して、数えて12回目のオスカー候補となった。

『アバウト・シュミット』(c)Photofest / Getty Images

ニコルソンがオスカーレースに名を連ねたのは、(今のところ)それが最後となった。2010年から事実上の休業状態にあるニコルソンは、健康不安説も噂される。もちろん彼は、本作の後も『N.Y.式ハッピー・セラピー』(03)、ダイアン・キートンとの掛け合いが絶妙だった『恋愛適齢期』(03)、『ディパーテッド』(06)、『最高の人生の見つけ方』(07)、『幸せの始まりは』(10)と数本の映画に出演している。しかし『アバウト・シュミット』は、ハリウッドを代表する演技派ジャック・ニコルソンが本来の魅力を発揮したという意味で、もしかして最後の作品になるかもしれない。

文:清藤秀人(きよとう ひでと)

アパレル業界から映画ライターに転身。現在、映画com、MOVIE WALKER PRESS、Safariオンラインにレビューやコラムを執筆。また、Yahoo!ニュース個人にブログをアップ。劇場用パンフレットにもレビューを執筆。著書に『オードリーに学ぶおしゃれ練習帳』(近代映画社刊)、監修として『オードリー・ヘプバーンという生き方』『オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120』(共に宝島社刊)。

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