サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は「引き分けは負け同然?」と感じさせる現代のサッカーのからくりについて。
■引き分けの瞬間「すべてのサポーターの思考が停止」
Jリーグの試合で、いつもとても奇妙な思いがすることがある。試合が引き分けに終わった直後のサポーターやファンのリアクションだ。
同点で迎えたアディショナルタイム。「勝ち点3」を目指して懸命に攻めるホームチーム。アウェーチームは4バックから5バックに変え、あわよくばカウンターで決勝点を奪おうと、ペナルティーエリアまで9人が引いて守る。サポーターの歌声は最高潮になり、「もしかしたら、ドラマがあるかもしれない」と心拍数が上がる。
しかし、表示されたアディショナルタイムが過ぎ、ひとつの攻撃が一段落ついたところで主審が長く笛を吹く。引き分けだ。その瞬間、ホームもビジターも、すべてのサポーターが「思考停止」に陥ってしまうのである。勝ったら勝者を称える歌を歌い、負けなら状況次第で「次は勝とう」とか、ブーイングとか、すぐに反応する方法はあるのだが、どうしたことか、引き分けで終わると、数秒間、黙りこんでしまうのだ。
「引き分けは負けも同然」
そう思っている人が少なくないのではないか。勝ち点3には遠く、負け(勝ち点0)にちょっと毛が生えたぐらいの「勝ち点1」。負けることは相手に勝ち点3を与えることを意味しており、ポジティブなのは、それを阻止したということだけで、勝ち点1をもらっても順位が上がるわけではない…。「引き分けが残すのは、2つの負けチーム」という感覚が、多くの人にあるのではないか。
■ある特殊なサッカーのために考案された「3-1方式」
すべては、「勝利に3、引き分けに1」という勝ち点方式の影響なのである。どうも長ったらしくて、おそらく読むほうも鬱陶しいと思うので、以後は「3-1方式」、あるいはもっと短く「3-1」と呼ぶことにしよう。
もしかしたら、若いファンの中には、サッカーが始まったときから、この方式だったと思っている人がいるかもしれない。生まれたときには「勝ち点3」だった人々にしてみれば、それ以外の方式がある(あった)ことなど、想像もつかないかもしれない。だが、この方式は、サッカー一般ではなく、ある特殊なサッカーのために強引に考え出されたもので、けっして「自然の産物」ではないのである。しかも、それが世界中で一般的に行われるようになってから、まだ30年にもならない。「Jリーグより若い」方式なのである。
■1994年アメリカ大会で得点数が増加「大成功だった」
サッカーのルール改正をつかさどるのが、国際サッカー評議会(IFAB)という組織であることはよく知られている。世界のサッカーを統括する国際サッカー連盟(FIFA)の外にあり、IFABが決めたルールを世界中のサッカー協会に守って競技を行わせるのが、FIFAの仕事と言ってよい。しかし、「3-1方式」にはIFABは関与していない。ルールブック(競技規則)を読んでも、この方式はおろか、「勝ち点」という言葉も出てこない。この方式は、FIFAが決めたものなのである。
1994年10月に、アメリカのニューヨークでFIFAの理事会が開催された。この年の6月から7月にかけてアメリカでワールドカップが開催され、実質的にFIFAのナンバーワンだったジョゼフ・ブラッター事務総長(会長はジョアン・アベランジェ)は、イタリアのロベルト・バッジョのPK失敗で幕を閉じたこの大会を、「大成功だった」と自画自賛した。
そのひとつが、得点数の増加だった。4年前の1990年イタリア大会の52試合で生まれた得点は、115(1試合平均2.21)、1994年大会では、同じ試合数で141(2.71)へと急増した。そして、その最大の要因がワールドカップで採用された「3-1方式」であるとして、翌年から世界のサッカーのスタンダードにすることを、1994年10月の理事会で決め、通達したのである。