優しい笑み、被災者励ます 両陛下、2度目の奥能登

腰をかがめて被災者をお見舞いする天皇、皇后両陛下=12日午後4時24分、能登町松波中

  ●「心から心配、うれしい」

 腰をかがめて浮かべられた優しい笑みが被災者を元気づけた。12日、3月の輪島、珠洲に続き、2度目の奥能登入りとなった天皇、皇后両陛下。穴水、能登町の避難所に足を運ばれ、避難生活を送る人々に心を寄せられた。沿道には多くの住民が集まって手を振り、両陛下に声を掛けられた被災者からは「心から心配していただいた。本当にうれしかった」との声が上がった。

 46人が身を寄せる穴水町さわやか交流館プルートで両陛下は、椅子に座る避難者の前で膝を折り、「大変でしたね」「お大事にしてください」とねぎらわれた。交流館周辺は桜が見頃を迎え、皇后さまが「少し暖かくなってきて、桜もきれいに咲いていますね」と声を掛ける場面もあった。

 米田吉朗さん(76)=大町=は懇談後、天皇陛下から「頑張ってください」と励まされたことを涙ぐんで振り返り、妻の美智江さん(76)は「優しい目で話を聞いてくれ、元気をいただいた」と話した。

 穴水町消防団長の濵出泰治さん(67)は倒壊家屋からの人命救助に取り組んだことを説明。天皇陛下から「寒い時期に大変でしたね」との言葉を掛けられ「復興を強く後押しされた思い」と決意を新たにした。

 医師で能登北部医師会理事の丸岡達也さん(63)は診療や薬の提供で各避難所を巡回したことを紹介すると、皇后さまが「それは心強いですね」とほほ笑んだという。

 陸上自衛隊のヘリコプターで穴水町から能登町に入った両陛下は松波中へ。地震で床が波打つ体育館を進み、出迎えた26人全員と言葉を交わされ、被災者は笑顔や涙声で感謝を伝えた。

 天皇陛下は、能登町上の水滝勝弘さん(55)に「おけがはありませんでしたか」「家は大丈夫ですか」と尋ね、皇后さまも心配した表情を見せた。水滝さんは「仲むつまじいお二人が希望を見せてくれた」と喜んだ。

 濱美智子さん(86)=松波=は、1975(昭和50)年に学習院高時代の天皇陛下が奥能登へ立ち寄られた際、珠洲市職員として同行した思い出を披露。天皇陛下は楽しそうに、輪島市の国名勝「窓岩」の名を挙げて「懐かしく思います」と語られる一幕もあった。

 松波中では、白丸地区の避難所を運営した白丸公民館長の神田幸夫さん(69)=内浦長尾=ら3人をねぎらった。神田さんは「優しいお言葉に心が休まった」と話した。

 

  ●津波、土砂崩れ犠牲者悼む 能登・白丸と穴水・由比ケ丘

 能登町白丸では地震と津波、大規模火災で甚大な被害を受けた家屋に向かって黙礼、集落で唯一犠牲となった坂森百合子さん=当時(81)=をはじめとする被災者を悼まれた。

 両陛下はがれきが積み上がったままの集落を進み、大森凡世町長から現状の報告を受けた。沈痛な面持ちで目を閉じ、深々と頭を下げた。

 穴水町の穴水港あすなろ広場に設けられた臨時ヘリポートでは、吉村光輝町長が由比ケ丘地区で土砂崩れが起き、町内で最多となる16人が犠牲になったことを説明した。ヘリポートから能登町に向かって離陸した際は、由比ケ丘地区周辺に向かって黙礼された。

 

  ●沿道、大勢出迎え

 両陛下の訪問先の沿道には多くの住民が出迎え、2度目となった被災地への訪問に感謝の声が上がった。

 穴水町さわやか交流館プルート前で出迎えた山岸勇次さん(83)=川島=は「手を振ってくれた両陛下の姿を見て、涙があふれてきた」と感動の面持ちを見せた。能登町松波中では、目川慶子さん(71)=鶴町=は「お二人の優しいまなざしで心が和らいだ」と声を弾ませた。

 

 

  ●「被災者の皆さん前向く気持ちに」知事、2町長が感謝

 特別機で帰京した両陛下を見送った馳浩知事は2度目の被災地入りに「被災者の皆さんが前を向く気持ちになり、本当に感謝している」と語った。大森能登町長は「希望を持ってもらえる。大きな励みになった」と感謝した。吉村穴水町長は「町民がどれだけ元気づけられたか。感激で胸がいっぱいだ」と述べた。

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