大阪・関西万博 開幕まで1年 神戸の大学生、”EXPO'70から2025へ”ドキュメンタリー制作

甲南大学生有志と川田都樹子・甲南大教授、西田博至・三宮図書館館長<2024年3月12日 神戸市中央区・KIITO>

大阪・関西万博の開催まで1年。

開催をめぐり様々な声が上がる中、甲南大学(神戸市東灘区)の学生グループが、これに先立つ1970年大阪万博(EXPO’70 / 大阪府吹田市・千里丘陵で開催)を検証し、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げる大阪・関西万博へつなげるドキュメンタリー映画を製作している。

【画像】”EXPO’70から2025へ” ドキュメンタリーを製作する甲南大学の学生たち

学生たちは「芸術史」の授業で、EXPO'70を調査・研究発表し、新たな視点や気づきを得るプロセスを、映像作家の寺嶋真里氏がドキュメンタリー作品として1本の映画にまとめ上げる。
最終目標は、2025年大阪・関西万博会場での上映だ。

「Z世代」。厳密な定義はないが、野村総合研究所によると、1990年代中盤から2010年代序盤に生まれた世代を指す。2024年現在13歳~29歳前後の年齢層に当たり、効率主義、仕事よりプライベート重視、多様性を重んじるなど、従来の若者のスタイルとは異なる。
スマートフォンやSNSの普及期に生まれ育ったZ世代は、物心がつくころにはモバイル端末に触れ、SNSを通じて交流することが当たり前となっている。

学生たちは、その「Z世代」に当たる。昭和そのものを知らない。ましてや1970年の大阪万博のテーマ「人類の進歩と調和」という言葉を聞いても心に響かない。

こうした中、神戸で”ある展示”を見つけた。

2024年3月、大阪・関西万博開幕1年を前に神戸のウォーターフロントにあるデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)で開催された 「1970 大阪万博展覧会 Re:PLAY エキスポ・ポスター・アーカイブ」。
建築家・黒川紀章氏が設計した1970年大阪万博のパビリオン「タカラ・ビューティリオン」をモチーフに、”当時のポスターを展示しただけの空間”で学生らが見たものは…

ある男子学生が、ラジオ関西の取材に答えた。

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1970年代、カラーで撮影できる技術が確立されていたため比較的鮮明な映像で当時の様子を知ることができるし、親世代の身近な大人から直接話を聞くこともできる。とはいえ、「1970年大阪万博」というイベントに関していえば、その時、その場にいないと体験できない感覚があったのではないかと思う。
いくら映像を見たり人から話を聞いたりしても、万博の雰囲気や高揚感をそのまま味わうことは難しい。ただ、今回は当時の人も見ていたポスターという媒体を通して、今までと違う視点から、1970年という時代と大阪万博について考えることができた。

まず驚いたのは、チケットの販売方法。「世界旅行のパスポート、もうお求めになりましたか?」という文言が書かれた宣伝ポスターには、チケットの販売場所として旅行代理店や鉄道の駅に並んで、近畿のたばこ小売店が挙げられていた。
インターネットでチケットを購入することが当たり前になった今では、チケットを購入しに行くという行為自体が少なくなってきている。でも、当時の人はそれがごく当たり前なことで、しかもたばこ店でもチケットを販売していたということは今では考えられないと思う。これも1970年代なのか?

今回の展示で大半を占めていたポスターは、万博会場内外で行われる音楽イベントの宣伝に関するものだった。印象的だったのは多種多様なジャンルの音楽イベントが、万博の開催期間中、ひっきりなしに行われていたということだ。それらのポスターを見ていると、万博が科学の進歩を人々に紹介するという側面だけでなく、芸術の祭典という側面もあったということがわかる。

万博の芸術といえば「前衛」という印象が強かった。音楽に関しても前衛音楽に力を入れていたのかなと思っていたが、クラシックコンサートのポスターが多かったことが意外だった。大阪・中之島にあるフェスティバルホールでは、日本だけでなく、海外から多数の交響楽団が訪れ、ほぼ毎日のようにコンサートが行われていた。あまりの過密日程なのでいつリハーサルをしていたのかということに疑問を持った。
また、有名な交響楽団を多数日本に呼ぶことができた資金力があったのか、料金が比較的安価だったことに驚いた。これは良質な音楽を”生”で体験する機会を一般の庶民にも与えたいという開催者側の意図があったように思う。

大阪万博期間中は、このような音楽イベントのポスターが駅や街中に代わる代わる掲載されていたのではないかと思う。世界を見渡しても、こんなにコンスタントに音楽イベントが行われていた場所はなかったのではないだろうか。1970年の大阪は、音楽好きにとって、最もワクワクする場所だったに違いない。

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パビリオンのデザイン性の高さに感動した別の女子学生は、「”万人にウケる”ものではなく、デザイナーたちが本当に作りたいと思えるものを製作した“自由な表現”を感じた」と話す。
50年あまりの年月を経て、当時の常識、習慣と今のそれとは異なるものもあるが、「形に縛られない、自由な発想のもとに成り立つのでは」という思いが「いのち輝く未来社会」を形づくるととらえた。

学生らの見学にゲスト講師として加わった神戸市立三宮図書館・西田博至館長は、「大阪万博で実際に使われたポスターの実物を、まとめて見ることができたのは貴重な機会。ポスターのメッセージはそのデザインとともに時代を表す。
これらのデザインを読み解き、時代の息吹に触れるには、やはり当時の資料をできるだけ多く、見たり読んだりすることが肝心だと思う。そのために図書館をぜひ使ってほしい。100年以上の歴史を持つ神戸市の図書館は、1970年の万博や当時を再発見するための貴重な資料がたくさん所蔵されている。多くの方に利用いただき、神戸を含めた未来の関西を考えるための手がかりにしてほしい」と話した。

学生たちをサポートする川田都樹子教授(文学部/美学・芸術学)は、ドキュメンタリー制作にあたり、ハードルの高さを挙げる。1970年当時の映像、写真、印刷物はもちろん、万博遺構とされる様々な建造物(太陽の塔や鉄鋼館、万博公園)などを撮影して、映画のワンカットに使うべく、あらゆるところに許可を求めながら製作を進めているが、著作権などクリアしなければいけない課題も多いという。
それでも諦めない。 「学生らのドキュメンタリー映画は、非常に少ない大学予算で、経済的に無理をしながらの制作という厳しさがある。しかし、学生らの気づきや探求心を目にすると、大変意義深い活動だと感じる」と語る。

川田教授はまた、「製作費不足が結果的に新しい発想を生み出すきっかけになることもある」と話す。

例えば、寺嶋真里監督が考えついた「マルチカメラ」という新たな手法がその発想だと指摘する。Z世代の出演学生たちは、当然のように日常的にスマートフォンで写真や動画を撮影してはSNSやLINEで「発信」しあっている。その彼らが、この映画ではカメラマンも兼ねる。それぞれのスマホで、それぞれの視点、それぞれのアングルで「今」の学びを映像化していき、それを監督が1本の映画の中に編み込んでいくのである。予算的にプロのカメラマンを使えるシーンが限られていたからこそ生まれた、おそらく映画史上初の試みではないかとみている。
「1970年大阪万博では、当時のテクノロジーの最先端が披露された。そこで数多く公表された映像は”マルチスクリーン”(複数の映写機をコンピューターで一括制御して同時放映するもの)であり、メディアの変容を示したように思える。それに対する学生たちによる”マルチカメラ”は、『ITテクノロジーの今』の象徴であり、未来社会のデザインをテーマとする2025年大阪・関西万博で公開する映画にふさわしい試みでもあるかと思う」と話す。

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