引き分けはいつから「勝ち点1」になったのか?(3) 合理的な「金貨」山分けと3-1「逆効果」説、真の理由は「バックパス」

味方からのバックパスを手を使って処理することを禁じられたことにより、さらにGKは足元の技術を要求されるようになった(写真は鈴木彩艶)。撮影/原壮史(Sony α‐1)

サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は「引き分けは負け同然?」と感じさせる現代のサッカーのからくりについて。

■ホーム&アウェーの「リーグ戦」は大リーグから借用

伝統的な「2-1方式」は、「リーグ戦」の誕生とともに生まれた。以前にも紹介したことがあるが、同等のクラスのチームが集まり、ホームとアウェーの両方で戦う「リーグ戦」という制度は、アメリカのベースボールから借用したもので、1888年にイングランドで最初の「サッカーのリーグ戦」が始まった。

だが、アメリカのベースボールは連日試合をし、ホームとアウェーで同じ相手と何十試合も対戦する。そして順位は「勝率」で決める。それに対し、週に1試合が基本のサッカーでは、ホームとアウェーで1試合ずつ、12試合でスタートした「フットボールリーグ」では、1チームが1シーズンにプレーできるのは22試合に過ぎない。引き分けも少なくない。そこで各チームが8試合ほど消化した後に決まったのが、「勝利に2、引き分けに1」という「2-1方式」だったのである。

これは、実に論理的な方式だった。

イングランドのサッカーは1870年代の後半からすでにプロ選手の活躍が始まり、その流れを止められなくなったイングランドのサッカー協会(FA)は、1885年にはプロを公認した。「フットボールリーグ」は、最初からプロが活躍するリーグだった。

そしてリーグができるまで、「対抗戦」の形式で2チームの話し合いで決められていた試合では、スポンサーが「賞金」を提供して、それを争うという形式の試合が多かった。金貨がザクザクと入った壺が提供され、勝ったチームがそれを獲得し、選手たちに分け与えるという形だったのだ。もちろん、負けたチームには何もない。そして試合が引き分けで終わると、両チームはそれを仲良く二分したのである。

■導入は「逆効果」も…日本では24シーズン目に採用

「2-1方式」はまさに「賞金の壺」そのものだった。勝者は2、敗者は0、そして引き分けなら両者に1を与え、その勝ち点の積み重ねで順位を決めるという方法は、誰にも納得のいくものだった。そして、この制度の下では、引き分けも立派な結果だった。壺いっぱいの金貨は逃しても、少なくとも空手で家路につくことはないのだから…。

この方式が1888年から1世紀以上続いたのは当然だった。そしてワールドカップを含め、世界のすべてのサッカーが「2-1方式」で覆われた。この制度は合理的で自然で、サッカーの「リーグ戦文化」とともに無条件に受けいれられた。

「3-1」制度は、サッカーそのものではなく、「観客を楽しませるエンターテインメント」、すなわちプロサッカーに限られる要請から生まれたものだった。その効果はどうだったのか。

導入の直前、1980/81シーズンの引き分けは118試合、全462試合で生まれた得点は1228(1試合平均2.66ゴール)だった。「3-1」が導入された1981/82シーズンは、引き分け121試合、総得点1173(2.54ゴール)だった(!)。何と「逆効果」だったのだ。

だが、イギリス人は一度、決めたことを簡単にやめたりしない。「2-1方式」下の最後の5シーズンの平均引き分け数は133.0回、それに対し、「3-1方式」したの最初の5シーズンは113.4回だった。1試合で生まれる得点数も、2.61から2.71へと増加した。フットボールリーグは「3-1方式」の効果を認め、方式を継続した。

1965年にスタートして「2-1方式」を守ってきた日本サッカーリーグ(JSL)も、24シーズン目の1988/89から「3-1方式」を採用、最終シーズンまで4シーズンにわたって続けた。もっともJSLでは、人気が低迷した1977年から1979年までの3シーズン、引き分けをなくしてPK戦を採用し、「90分間での勝利に4、PK勝ちに2、PK負けに1、90分間での負けに0」という「4-2-1方式」を採用していたから、イングランドですでに十数年を経過していて、すでに(マイナーなリーグばかりながら)6か国で導入されていた「3-1」にも違和感はなかった。

■得点数が増えた最大の要因は「バックパス」

だが、あくまでこれは「よりエンターテイニングにし、入場者増やす」ことを目的とした「プロ的」な目的を持ったもので、サッカーを楽しむ少年少女や「草の根」のサッカーに適したものではなかった。事実、イングランドでも、「3-1方式」が採用されていたのはセミプロのレベルまでで、アマチュアや草の根では「2-1方式」が、1994年の「FIFA通達」まで続いていたのである。

だが、1994年ワールドカップで得点数が増えた最大の要因は、「3-1方式」ではなく、1992年に採用された「バックパスルール(味方からバックパスされたボールについては、GKは手を使うことができない)」だったという見方をする人は少なくない。スペインでは、ニールが懸念したようにリードしているチームが守備的になったり、「ファウルとイエローカードが増えた」という研究があるという。「3-1方式」は、サッカーをよりエンターテイニングにするというより、より「汚く」しているというのだ。

私は、「3-1方式」は少なくともプロだけにして、アマチュアや草の根では「2-1方式」に戻すのがいいと思っている。勝ちも引き分けも負けも、決められた時間で行われるサッカーという競技のひとつの「結果」に過ぎない。試合が終わったら、潔くそれを受け入れるのがサッカーの文化というものではないか。観客を増やし、収入を増やしたいという「3-1」のように不純な動機を持つ方式ではなく、引き分けた両者で「金の壺(試合の喜び)」を分け合う「2-1方式」の復活はできないものかと、日々、思っているのである。

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