『アンチヒーロー』は正義と悪の二項対立をぶち壊す 長谷川博己演じる明墨の狙いは?

「私があなたを無罪にして差し上げます」

なんとも大胆不敵な宣言。そこまで言っていいのかと観ているこちらが心配してしまうくらいだ。4月14日にスタートした『アンチヒーロー』(TBS系)第1話は、殺人犯を守る弁護士というリーガルドラマの新しい主人公像を提示した。

凶悪事件で被疑者の代理人を引き受ける弁護士に対して世間の目は厳しい。「なぜあんな極悪人をかばうのか?」「社会正義を追求する法律家にふさわしくない」等々、犯人への処罰感情も加わって罵詈雑言が浴びせられることも少なくない。では、彼らが弁護を引き受けた理由を考えたことはあるだろうか?

日本国憲法には無罪推定の原則が定められている。また、重大事件の被疑者・被告人には、弁護人に依頼する権利が認められている。裁判で有罪が立証されない限り、何人もその権利は保障され、法廷において無罪を主張することができる。そのために力になるのが弁護士だ。人が人を裁く司法制度で冤罪を生まないために、刑事弁護人の役割は重要である。

日曜劇場で弁護士が登場する作品といえば、2016年、2018年に放送された『99.9-刑事専門弁護士-』(TBS系)が想起される。同作は、有罪率99.9%とされる日本の刑事裁判で無罪を勝ち取る弁護士・深山大翔(松本潤)の活躍を描いている。『アンチヒーロー』の主人公で弁護士の明墨正樹(長谷川博己)は、有罪確実と思われた被告人を無罪にするが、その方法は深山と対照的だ。

公判前整理へ向かう明墨が、白バイ警察官(須田邦裕)に理路整然と違反キップの証拠不十分を説明するところまでは、本作も事件解決ものとしてのリーガルドラマの範疇に収まると思われた。しかし、その予想は裏切られた。町工場の社長・羽木朝雄(山本浩司)を殺害した緋山啓太(岩田剛典)の事件で、真犯人発見という当初の見立ては、次第に雲行きが怪しくなる。公判で記憶の曖昧な児童を証言台に立たせる様子は、あたかも虚偽の供述を誘導するかのようだった。

刑事裁判で有罪になるには、合理的な疑いを超える程度の立証が必要とされる。検察官は有罪を立証するために証拠を収集し、被告人が確実に罪を犯したと考えられる根拠を示さなくてはならない。弁護側の戦い方はこれとは異なる。検察側の主張の矛盾点を突き、検察が提出した証拠の信頼性を崩すことに主眼が置かれる。これによって検察側の立証を成り立たなくすれば、被告人は無罪となる。あえて無実を証明する必要はない。

明墨が後輩弁護士の赤峰柊斗(北村匠海)に「証拠の数は多ければ多いほどいい」というのは、この仕組みを指している。検察が弱い証拠を多く集めて有罪を立証しようとするのは、犯罪を直接立証する証拠がないことを示しており、証拠が多ければ多いほど、そこに反証の余地が生まれるからだ。

有罪をなかったことにするために明墨は証拠を集めるのだが、その徹底ぶりはすさまじい。使えるものは何でも使う明墨には、手段を選ばないという言葉がそのまま当てはまる。子どもを手なずけたかと思うと、被害者の罪悪感を喚起して出廷を承諾させた。検察側の証言を覆すためにギャンブル好きの尾形(一ノ瀬ワタル)をたらしこみ、供述の信用性を否定する証拠をつかんだ。

結果、第一発見者である尾形の証言は覆され、検察の論拠の一角は崩れることになったものの、こうした明墨の手法に違和感を抱いた人もいただろう。聴覚に障害のある尾形をだましただけでなく、子どものあいまいな記憶を積極的に利用した。緋山が殺したことを承知の上で、悪びれずに弁舌を振るう明墨を正義と真実の敵とみなすことはたやすく、むしろその方が一般的な感覚と合致する。

ヒーローではなくヴィラン/悪役である弁護士は何を守ろうとしているのか。犯人に人権があることは理解できる。そのことと殺人犯を野放しにすることは話が違うのではないか、など疑問は無限に湧いてくる。少なくとも、勧善懲悪が特色の一つである日曜劇場に突如現れた『アンチヒーロー』が、硬直した正義と悪の構図をぶち壊す問題作であることに疑いの余地はない。

(文=石河コウヘイ)

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