古里で出産した3日後、拒否すらできなかった強制不妊手術 聴覚障害ある福井出身、70代女性の後悔

1974年に福井県内で強制不妊手術を受けた加山さん(仮名)。「国に謝ってほしい」と繰り返した=2月20日、大阪市

 古里の福井に帰り、長男を出産して3日後、へその下あたりを切られる手術を受けた。1974年のことだ。聴覚障害者の70代女性、加山さん(仮名)=大阪府=は「何の手術かは分からず、拒否することはできなかった」。不妊手術だった。下腹部には4センチの傷跡が今も残る。

 福井県内で生まれた加山さんは生後約50日で発熱し、聴覚障害者になった。小中高校はろう学校に通った。寄宿舎生活で、夏休みと冬休みの年2回実家に帰った。「意思疎通ができず、父母から冷たく扱われた。暴力も振るわれた。だから、家ではじっとしていることが多かった。実家に帰るのは嫌だった」

 高校卒業後、寮に住みながら3交代制の織物工場で働いた。学校の教員の紹介で、74年に同じ聴覚障害者の男性と結婚した。男性が優しかったこともあるが、とにかく両親から離れたかった。

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 夫の父の仕事の関係で結婚後は大阪に引っ越した。妊娠9カ月になり、福井に戻って出産した。両親にとっては初孫だったが、うれしそうではなかった。ずっと怒っているような顔をして話しており、加山さんはのけ者にされているように感じた。

 無事出産し、その3日後に手術を受けた。麻酔が切れると、激しい痛みを感じた。「死にたい」と思うほどの痛みで、看護師から何度も痛み止めの薬をもらった。出産の喜びは吹き飛んでいた。

 しばらくして母から「子どもは1人だけよ」と言われた。その時は分からなかったが、後になって不妊手術だと知った。母は手術に同意していた。

 夫は「子どもは3人ほしい」と言っていたから、ひどくショックを受けていた。大阪で子どもを産んでいたら、不妊手術を受けることにはならなかったかもしれない。福井で産んだことを後悔している。

 生まれた長男は健常者だった。

⇒福井県内で強制不妊手術の75人は大半が20~30代女性

 旧優生保護法(1948~96年)下で、障害者らに不妊手術が強制された問題を巡り、福井県内では少なくとも75人に手術が行われた。このうち加山さんのように「本人の同意なし」とみられるケースは36人で、全体の48%を占める。

 旧法は3条で本人や配偶者、親族に遺伝性とされた身体疾患などがある場合、本人や配偶者の同意を得て不妊手術を行うと規定。12条では本人の同意がなくても、保護者の同意があれば強制手術を認めていた。県衛生統計年報によると、74年に12条による女性への手術が1件実施されていた。

 2018年1月30日、知的障害を理由に不妊手術を強制された宮城県の60代女性が「重大な人権侵害なのに、立法による救済措置を怠った」として、国に1100万円の損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こした。旧法を巡る国家賠償請求訴訟は初めてだった。

 このニュースに触れ、加山さんは初めて裁判を考え、19年12月に大阪地裁に提訴した。提訴の理由について「お金がほしいわけじゃない。国に謝ってほしいだけなんです」と繰り返した。

連載「法の下の強制不妊~福井・声を上げる障害者」

 強制不妊問題に関する国会の調査報告書では、全国で2万4993人に対し手術が行われた。福井県出身の被害者の証言を通し、法の下で何が行われてきたのか、実態に迫る。

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