テレフォンズ・松本誠治「まぜそばを大宮のソウルフードにしていきたい」

ミュージシャンは普段どんな「メシ」を食べているのか、実はめちゃくちゃこだわっている「メシ」があるんじゃないか? ニュースクランチの編集部員が個人的な趣味で聞きまくる「ミュージシャンのこだわりメシ」。

今回は、埼玉県・大宮駅にお店を構える『大宮まぜそば 誠治』のオーナーであり、the telephonesのドラムとして活躍を続ける松本誠治さんに、「まぜそば」について語ってもらいました。

▲ミュージシャンのこだわりメシ ~松本誠治~

「ぶぶか」の“汁なし麺”で魅力にハマった

――まぜそば屋のオーナーでもある松本さんが、まぜそばにハマったきっかけを教えていただけますでしょうか?

松本:基本的には麺類すべからく好きなんですが、まぜそばというよりかは、汁なしの麺に出合ったのが、20歳くらいだったのかな? 「ぶぶか」というお店の油そばなんですけど、それが衝撃的すぎて……。

――そこから汁なしの文化にどっぷりと浸かっていかれるんですか?

松本:そうですね。日本が特にそうなのかもしれないけど、「油そば」という名前のほうが認識として広い気がするんですよね。そもそも文化もラーメンほどは深くなくて、定義もそんなに強くないものだから、自分で好きに決めて楽しめる。調味料がたくさんあったり、お店側もお客さんに託してくれている感じがあるんですよ。そういうところの面白さに惹かれました。

――そこから、ぶぶか以外にも足を伸ばしていったと。

松本:はい。とにかく、いろんなところに行きました。発祥と言われるお店が2軒位あったりするんですよね。でも、それくらい曖昧だからこそ、いろいろな人が参入できて面白いのかなと思うんですよ。当時は専門的に出しているお店も多くなかったので、期間限定で出しているお店にも食べに行ってました。

▲松本さんオススメの『大宮まぜそば 誠治』欲張りセット(まぜそば ・豚キムチ ・半ライス ・追いカレー)

これからの文化として考えると面白い

――汁なし麺は多種多様とのことですが、そんななかでも好きな味はありますか?

松本:難しいんですよね、まぜそばの100点ってないと思うんです。100点を定義するお店がまだない。伝統がいろんなところに派生して作られている最中なので、正解がないように思うんです。

――まだ完成しきっていない?

松本:そう。だから、めっちゃ面白がっている人は増えていると思いますね。「これが!」というよりは、個人の出会った瞬間のものがベーシックにならざるを得ない。ルーツはあるとは思うんですけど、自由な感じがいいですよね。ある意味、多様性の現代にも合っているのではないでしょうか。

――歴史が浅いからこそ可能性を秘めている。

松本:当然、ラーメンより歴史は浅いわけで。僕らが担ってもいいという可能性がいいじゃないですか! 逆に言うと、どんどん変わっちゃうので、10年後とかには全く違うもの出てくる可能性はある。僕らが作ってるものがクラシックになっていくかもしれないけど、かと言って、10年が伝統と言われたらそうでもないみたいな。

――そこを考えると、より面白くなってきますよね。

松本:文化として考えると面白いですよね。これからどう変化していくのだろうって。

▲店先にはのぼりが立ち、昼時になると店内は満席

暗いコロナ禍の世界を明るくしたかった

――まぜそばの味にハマり、文化にハマり、傾倒していくなかで、ついに自分のお店をオープンされるわけですが、そのきっかけについても教えていただけますか?

松本:一緒にお店をやっている相方は、地元のバンド友達なんです。彼は昔から仕事として調理をやっていたんです。昔からずっと「誠治さんの名前でラーメン屋をやったら面白そうなんだよね」と言われてました。“そんなのがあったら面白いね”くらいではいたんですけど、時を経て、大人になり相方も自分でお店を構えたり、いろんなことをやり始めていくなかでコロナ禍がやってきたんです。

その頃のSNSのムードが好きじゃなくて。明るいニュースがなくなっていき、SNSにも辟易としちゃうな……というとき、急に相方が「マジで算段がついたから、ちょっと一緒にやろうよ」と言われ、世の中のエンタメの暗いムードも変えたかったし、何より面白そうだから「やってみようか!」ということになった。

――なるほど。

松本:それで試食会をしたんですけど、その時点で今のまぜそばと近いものはできていて、“これ売れるじゃん!”と思いながら食べてました(笑)。そこから僕もチョロっとだけ意見を出せて貰って、オープンしようということになったんです。

スピード感もすごくて、「再来週にオープンしよう!」という感じで、全て手筈が整っていて、俺がOKすることを見越していて、逆に策士すぎるなって(笑)。相方は絶対に自信があったと思うし、僕は僕で急にコロナ禍で、逆張りみたいに店を始めたことを笑ってもらえるかなって。

――松本さんのサービス精神というか(笑)。

松本:そうですね(笑)。でも、そういうスピード感でしたから、自分のSNSで告知して、知っている人たちが来てくれたらいいかなと思っていたら、音楽ナタリーの方が「そういうお店をするならコメントをください」と連絡してきてくださって、コメントを書いて送ったら、当時アップされていた音楽ニュースのなかでも上位だったんです(笑)。だからきっと、みんなも少し笑える、明るいニュースが見たかったのかなと。

▲多彩なメニュー

ミュージシャン仲間たちからの感想

――the telephonesのメンバーの方たちの反応はいかがでしたか?

松本:相方もthe telephonesと対バンしてたようなヤツなので知り合いですし、みんな「はやっ!」と言ってましたけど、「あいつはやりそうだよな(笑)」と言ってましたね(笑)。

――the telephonesは地元に愛情があるバンドというイメージなので、大宮でやっているというのがすごくいいなと思います。

松本:そうですね。バンドの生まれとしては北浦和ですが、僕個人としては大宮で月1でレギュラーでやっているDJパーティーがあって、大宮も大事な街です。444quadという……今はシーシャバーになっていますけど、昔はクラブで、そこで僕はDJの経験を積ませていただいたんです。そのほかにもmore recordsというインディー専門のレコ屋があったり、逆口にはNACK5があったり……。地元の情報の集合地であり発信地でもあるこの場所で、飲食店として一助になれたらと思ってます。

――ちなみに、メンバーの皆さんやミュージシャン仲間に振る舞われたことはありますか?

松本:ありがたいことに、ストレイテナーのナカヤマシンペイさんが来てくれて「美味い……でも遠すぎる!」って言われました(笑)。あとは、Dragon Ashの櫻井さんとかも食べに来てくれましたね。

ラーメン好きとして知られるBRAHMANのRONZIさんも来てくれました。RONZIさんは粋でしたね、サッと来て、お祝いを渡してくれて、食べてすぐ「じゃあね」と言って帰る。すごくカッコいいなと思いますね。僕の周りには粋で格好良い人達が多いです。

まぜそば屋なのに米がなくなる?

――『大宮まぜそば 誠治』には、どんなこだわりがありますか?

松本:細かいこだわりはあるんですけど、僕が一番コレだなと思っているところは、店名なんです。これはスタンスの話ですが『大宮まぜそば 誠治』って全部詰まってるんです。大宮、と銘打ってるところがポイント。 “この土地でまぜそばは初めてかもしれない”という発祥の店をするためだったり、ゆくゆくは“大宮のソウルフードになれたらいいな”という想いもあるんです。

といいつつ、もちろん味のこだわりもありますよ! 特に僕はカレーまぜそばを推したいです。キーマカレーのようになっていて、ちゃんとスパイスから作ってあって、その辛味が、強引に辛くするエンタメのような辛さではなく、体内から熱くなるようなスパイスの辛味!

このカレーがすごい美味しいと評判を受けて、カレーだけのメニューも出してしまいました(笑)。スペシャルトッピングカレーというメニューは、他のまぜそばと一緒で無料トッピングも選ぶことができるんですよ。ニンニク・背脂・卵も選びながらカレーを味わえるスタイルを作ったら、米がすぐ枯れるという問題に直面しちゃったこともあり……。

なので、初めての方で「カレーも食べてみたいです」という方には、普通のまぜそばを頼んでいただいて、追いカレーで味変をしながら食べるというのがオススメですね。

止まらずに動き続けるthe telephones

――ちなみに『大宮まぜそば 誠治』での経験が、ご自身の音楽に影響をもたらしていることはありますか?

松本:何かをちょっと加えるという、微量な調整の仕方は音と同じだなと思います。ちょっと変えるだけで、音のキラッとした部分の広がり方が違うなとか、ローを出すときに無意味に出すのではなく、ほかの音を抑えて出すと聞こえ方が違う、などの足し引きの部分は近いと思います。

あとは、ライブにおけるスタンスとして、お客さんの顔をより見るようになったかもしれないです。全ては対応できないけども、何かもっと盛り上がれるやり方がありそうだなとか、どういうところに何をしてあげればいいかとか、考えるきっかけになりましたね。

――そんなthe telephonesですが、昨年は長島涼平さんの脱退もありましたが、それでも止まらず動き続けていますが、バンドとしては今どのようなフェーズなのでしょうか?

松本:僕らは2015年に一度、活動を止めたことがあるんですけど、 そこで「もう1回バンドで活動をしたい」ってメンバーが言ってきたんです。でも正直、最初はちょっと乗り気じゃありませんでした。一度止めたものを簡単な気持ちでまた始めるんだったら、巻き込んだ人に失礼だろと思っちゃって。

ただ、ほかのメンバーの「やりたい!」というフレッシュな気持ちをむげにはしたくないなと思って、僕の中の結論が「この先、何があっても止めない。それだけ約束してくれたらいい」ということでした。

――シビれるお話です。

松本:ただ、コロナ禍になって……何か月かライブもできず、そこからゆっくりと配信ライブをやってとか、半分以下にしてお客さんを入れてとか、マスクをして拍手だけで、ということを重ねて、コロナ禍でいろんな価値観が生まれてきたなかでも、“なんとかやれてきたかな……”と思ったときに、メンバーが1人離れることになって。

ずっと4人でやってたから。メンバーが抜けることは考えてなかったので、「この先、何があっても止めない」と言いつつ、誰かが「これはthe telephonesじゃない、終わりにしたい」と言われたら、否定もできないなと思っていたです。けど、逆にみんなが前向きになっていて、この出来事を機にもっと自由に音楽を作ってみよう、という雰囲気になったんです。

〇the telephones - Danger Boy (Music Video)

――今のお話を聞くと、より楽曲のスゴさを感じるというか、このタイミングであそこまでの新しいことを生み出せているのか、と。新鮮すぎたんですよね。

松本:そうだと思います。これは石毛に関してですけど、出てくるものがすげえな、面白いなと思うことが多いので、あいつの楽曲を信頼していますね。バンド1年目までとは言わないけど、そのくらい新鮮な気持ちはあります。

僕は生ドラムをやっていたけど、SPD-SXというサンプリングパッドがメインになって、触り方も雰囲気も違うものだけど、これをどう鳴らせるかなとか日々研鑽するし、ドラムを始めた頃の感じが戻ってきていて、41歳にして、今めっちゃ楽しいです!

(取材:笹谷 淳介)


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