広島県内の「さくらシーズン」も終盤。広島市で巨木を守る女性を訪ねました。25年前の災害で危機に瀕したサクラを守り続ける女性に思いを聞きました。
白山貴浩 カメラマン
「あれですね、シダレザクラ。すごくいっぱい人が来ている」
このサクラは、「神原のシダレザクラ」と呼ばれています。この日もたくさんの人たちが花見に訪れていました。
1999年6月29日、広島県西部の各地で豪雨による大規模な土砂災害が起こりました。
岡真由美 さん (2006年)
「サクラの木が倒れるかというくらい、ひどかったので心配しましたが、おかげでこんなにきれいに咲きました」
岡真由美 さん(81)が住むこの場所も、土砂崩れによって周囲の道が遮断され、一時的に孤立状態になりました。
岡真由美 さん
「サクラの木の裏に竹とか杉があったから助かったんじゃないかねって思います」
― どのへんに土砂が?
「このへん、全部。ここも全部、家の周りから田んぼも全部、埋め立てみたいになったんよ。119番したんじゃろうね、どうにもならんけえ。そしたら『河内(地区)で死者が出た。こっちは道が通れないから行けない』と言われた」
しかし、ほかの地区では死者も出ていて、道もふさがっていたため、消防隊がすぐに駆けつけることは難しい状況でした。
岡真由美 さん
― それで一晩、娘さんと2人で?
「そう、そう。娘は帰ってこられなかったんじゃないかな。道が通れないから」
― じゃあ、1人で
「たぶん、そうじゃったと思います。だから、死ぬると思って、かなり写真を撮ってね、子どもに見せないと、このまま死んだんじゃと思ってね。みんなはびっくりするんじゃがね、いったん下まで落ちると冷静になれる、かえって人間は…」
1本だったシダレザクラは子・孫の株ができ…
岡真由美 さん
― 大きな木ですね。
「333年、ことしでね…」
寒冷地を好むといわれるシダレザクラ。温暖な地にある大木は珍しいそうです。このシダレサクラ、岡家の初代が家の庭に植えたとされています。
真由美さんが、この家に嫁いできたのは55年前…。その後、3人の子どもに恵まれました。1973年にはシダレザクラが県の天然記念物に指定されています。
岡真由美 さん(1989年)
― サクラはかわいいですか?
「そうですね。わが子は口答えするけど、サクラはね(しない)」
岡真由美 さん(今月)
― (1989年の映像を見て)テレビ用に言ってくれたんですよね?
「たぶんね、適当に言ったんだろうと思う」
そんな中、1986年に同居していた義理の父と、夫の十吉さんが相次いで亡くなりました。
岡真由美 さん
「(夫の十吉さんの写真について)薬で顔がむくんだ。本当はいい男なんですよ」
― あれ以外、写真はない?
「…ない」
その後、岡さんはひとりで3人の子どもたちを育てることになりました。それまで続けていた農業をやめ、貯金を切り崩して生活をしていたそうです。
岡真由美 さん
― 貯金もいつかなくなるのでは?
「言っていいのかな…。『こころ団地』があるじゃないですか。あの山が売れたからね。不思議といいようになっているのよ、人生…」
はじめは1本だったシダレザクラは、今では子ども・孫と株が増えました。周囲には豪雨災害後、ボランティアによって植えられたソメイヨシノも人々の目を楽しませています。岡さんは、花が咲き終わった後も肥料や定期的な消毒作業などを毎年、欠かさず続けています。使わなくなった田んぼは花見用に無料で開放しています。
岡真由美 さん
― さみしくはない?
「全然、ないです。みんな、そう言われるのですが、全然。みんながサクラを見に来るじゃないですか。『おいで』と言うたわけでもないのに来て、声をかけてくれてでしょ。あなたと出会えたってことがいっぱいある。それがわたしはサクラ以上にうれしい」
◇ ◇ ◇
中根夕希 キャスター
岡さんは4月5日生まれで、「嫁いできて、たまたま7代目の桜守になったけど、サクラの時期に誕生日ってことはよっぽど縁があるってことなんだろう」と話していました。岡さんは、離れて暮らすお子さんと一緒に、これからもサクラを守っていくそうです。