「プライベートがあった時代」Jリーグ創成期の華やかな私生活を武田修宏が明かす! 六本木、西麻布などで...

元日本代表FWの武田修宏氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」で現役時代を語った。

【動画】武田修宏が読売クラブの黄金期を語る!
1993年に開幕したJリーグで、初年度から2年連続で二冠を達成したのが、武田氏や三浦知良、ラモス瑠偉らを擁するヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)だった。

タレント軍団の人気は凄まじく、試合前後の移動では殺到したファン・サポーターを避けるため、空港や駅では裏口を使うほどだった。そのなかで、武田氏の給与は急激に跳ね上がったという。

「それまで大体(月給)30万(円)、40万、次50万ぐらいだったのが、600万になっちゃった。契約(更新)で(年俸)6000万ぐらいでいいですって言ったら、社長が8000万でいいですって」

私生活も華やかになっていった。平日は節制していたものの、週末の試合後には六本木や西麻布などの繁華街に繰り出し、選手同士で親睦を深めていたという。

96年まで横浜フリューゲルス、97年からヴェルディでプレーした前園氏は「遊びを作ったのが、武ちんとかカズさんのヴェルディ。そこだけ違ったので、遊ぶ場所も」と証言する。

記録的な好況だったバブル景気の流れが残り、ディスコブームの時代だった。かつブラジル出身のラモスが踊るのが好きだったのもあり、選手たちは原宿や青山のクラブやジュリアナ東京などで遊んでいた。交友関係も広がり、武田氏は芸能人の和田アキ子さんと一緒に踊っていたこともあったと明かす。

ヴェルディのレジェンドFWは「みんなで楽しく。SNSも無かったし、(写真や動画を)撮ったりとか無かったから。そういう情報がないから。楽しんでいて、プライベートがあった時代」と振り返った。

Jリーグ創成期のヴェルディは、公私ともにド派手な集団だった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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