新日本シカゴ大会で激震!! “至宝”IWGPが15年ぶりに他団体流出! 日米三大メジャー王座獲得のモクスリーに海野翔太、成田蓮の新世代が挑戦を表明!

現地4月12日、米イリノイ州シカゴで新日本プロレスの『Windy City Riot』(ウィントラスト・アリーナ)が行なわれた。メインイベントには、IWGP世界ヘビー級王者・内藤哲也にAEWのジョン・モクスリーが挑戦。モクスリーが3度のデスライダーを決めて3カウントを奪取し、新王者となった。

モクスリーはWWE時代にディーン・アンブローズとしてWWE王座をAEWに移籍してからはAEW世界王座を3回獲得しており、WWE、AEWのアメリカ2大メジャー団体の最高峰タイトルに加えて、新日本の至宝を奪取したことから、史上初の日米三大メジャー団体のベルトを戴冠したことになる。
試合後、モクスリーは次期挑戦者に弟子である海野翔太を指名したが、このマイクを遮るかのように成田蓮が現れて、改造したプッシュアップバーでモクスリーを殴打。次期挑戦者として名乗りを上げ、これをモクスリーは受諾。救出に入った海野とは成田相手に防衛したうえで、挑戦を受けると明言した。

王座陥落となった内藤は2019年の『G1 CLIMAX』に続いてモクスリーに2連敗。IWGPヘビー級王座時代を含めて最高峰タイトルの他団体流出は09年の武藤敬司(当時は全日本プロレス)以来、15年ぶりの出来事だ。 バックステージに戻ってきたモクスリーは「IWGP世界ヘビー級王者だ。チームメイト、友達、家族に、エディ・キングストンにさえ…この20年超に及ぶアップダウンの激しい旅路のなか、俺を支えてきてくれた人、すべてに感謝を伝えたい」と謝辞。前人未到の快挙を感慨深く振り返った。

続けて、「俺は今、誰も登ったことのない山の頂に立っている。正直王座のことはそこまで執着していない。ベルトに刻まれたマークの文字や Tシャツについた文字が3文字であろうが4文字あろうが5文字であろうが関係ないことだ」と言い切り、「俺は好きなタイミングで、好きな場所で、好きなことをする。誰も俺を止めることは出来ない。次に日本に行く時はこのベルトを持っていく。だから、アリガトウゴザイマス、ジャパン! またすぐに会おう」と日本語を交えながら、一気にまくし立てて防衛戦を見据える。

そして最後に、「新日本プロレスの全員に、そして世界に向けて言いたいことがある」と前置きしたうえで、「次の対戦相手に対して俺がすることを見たら…シューター(海野)に対して、俺が何をするか見た時には、愛する人に対しても慈悲なくやりとげる姿を見た時には、俺を見る目が180度変わるだろう」と、愛弟子へ熱い想いを打ち明ける。

さらに、挑戦を表明したあの男の名も。「そしてレン・ナリタよ。ヤングライオンを卒業し、デッドマンになった男。第1章は、5月11日に始まる。カリフォルニア『RESURGENCE』で…」と、モクスリーは26歳の若武者に向かって不気味なメッセージを送った。成田とは5.12カリフォルニア大会で防衛戦を行なう意向を示したモクスリーは海野にも「準備をしておけ」と、挑戦に向けた調整をするよう指示を残している。
防衛戦の結果次第だが、師弟対決に胸を躍らす海野は「自分の中で、最高のシチュエーションができた。目指してきた、目標にしていたIWGP世界ヘビー級チャンピオンのベルト、それを師匠のモクスリーが持っているなんて。自分にとっては、これ以上ないシチュエーション」と、生き生きとした表情で話す。

饒舌は止まらず、「ひっくり返すぞ? パラダイムシフト巻き起こすぞ? 全部、この瞬間のためにやってきたんだから」と、モクスリーが成田相手に防衛することを確信したうえで、自身が挑戦できることに喜びを感じているようだ。

先日の4.6東京・両国国技館大会では前王者の内藤に、『NEW JAPAN CUP』覇者の辻陽太が挑戦するもIWGP世界王座に手が届かなかった。しかしここに来て、成田や海野ら同世代が次々と挑戦できる環境になったのは、オカダ・カズチカ(現AEW)をはじめ長く新日本の主力として支え続けた選手の退団から生まれたチャンスであることは確か。新世代の誰がAEWトップ選手のひとりであるモクスリーから王座を奪取するのか、それとも”元WWEスーパースター”が長期政権を築くのか。日米を股にかけた新世代によるIWGP王座争奪戦に期待したい。

◆新日本プロレス◆
『Windy City Riot』
2024年4月13日(日本時間)
アメリカ・Wintrust Arena(イリノイ州シカゴ)
観衆 6028人
▼IWGP世界ヘビー級選手権試合(60分1本勝負)
<王者>●内藤哲也(20分21秒 片エビ固め)ジョン・モクスリー○<挑戦者>
※デスライダー
※第8代王者が4度目の防衛に失敗、モクスリーが第9代王者となる。

文⚫︎どら増田

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