表現者 浅香唯の魅力【80年代アイドルの90年代サバイバル】歌い続けていくための試行錯誤  音楽活動に専念することを発表した浅香唯の90年代

リレー連載【80年代アイドルの90年代サバイバル】vol.4- 浅香唯

体当たり演技で人気を博した「スケバン刑事」

昭和から平成にかけて “アイドル四天王” と呼ばれた工藤静香、中山美穂、南野陽子、そして浅香唯。工藤は、圧倒的な歌唱力で歌手としての存在感が強かったが、中山、南野、浅香は歌手と女優を両立させていたという印象が強い。浅香の当時の活躍を振り返り、多くの人がまず思い出すのが『スケバン刑事』だろう。すり傷や怪我が日常茶飯事だったという危険を厭わぬ体当たり演技は、多くの視聴者を夢中にさせた。

『スケバン刑事』で人気を博した浅香は、その後歌手としてヒットチャートの常連となる。1987年にリリースされた「虹のドリーマー」、翌年の88年には「C-Girl」「セシル」、そして89年には、「TRUE LOVE」を見事オリコンチャート1位に送り込む。今もアイドルファンの脳裏に鮮やかな記憶として色褪せぬまま残る「セシル」は「C-Girl」から一転したミディアムテンポのロッカバラードで、ピュアな女性の心情を等身大に表現。この曲の作詞を担った麻生圭子は「セシル」に登場する少女は浅香をイメージして書き上げたという。

「セシル」は大きな転機となり、浅香は歌詞の世界観を忠実に再現する表現者として、アルバム作りに関しても制作初期の段階から深く関わり、多くのスタッフと意見を交えながらひとつひとつの作品を作り上げていった。

女性作家陣だけで固められた意欲作、92年にリリースされた「joker」

そんな歌手・浅香唯のキャリアの中で注目しておきたいのが、88年にリリースした6曲入りミニアルバム『HER STORY』だった。あえてシングルヒットを未収録。浅香はこの作品を「私の歴史をひとつにしたもの」と公言している。麻生圭子との対話を重ね、アルバムの中では、デビュー直後の心情や、ここにたどり着くまでの戸惑いや、喜びなどがリアルに表現されている。

このような経緯から、1990年には音楽活動に専念することを発表。93年の活動休止までに5枚のシングルと、7枚のアルバムを残す。コンスタントかつハイペースなアルバム作りには驚くばかりだが、この中でも92年にリリースされた『joker』は浅香のキャリアの中でも『HER STORY』同様、思い入れの深い作品となったという。

『joker』もまた、先行シングル及びシングルカットはなしの全10曲が収録。『HER STORY』以来の大きな賭けに出た。このアルバムは、浅香の意向により、作詞作曲共に女性作家陣だけで固められた意欲作となった。『HER STORY』が少女時代の煌めきを集めた作品であるのならば、『joker』は、女性の狡賢さやしたたかさも表現したアルバムとなった。90年代の浅香は、表現者としてアイドル時代の殻を破り、着実にスキルアップしていったのだ。

YUI名義、「Ring Ring Ring」の仕上がりはウォール・オブ・サウンド

その後前述したように、浅香は93年の2月、休業に入るが、その3年後レコード会社を移籍して “YUI” 名義で音楽活動を再開。2枚のシングルをリリースした。特に97年にリリースされた「Ring Ring Ring」は60年代に人気を博した米国ガールグループ、ロネッツを意識したウォール・オブ・サウンドに仕上がっている。バッキングの音作りは随所に60’sのキラキラしたエッセンスが散りばめられた名曲だ。当時世界中でヒットしたバネッサ・パラディの「ビー・マイ・ベイビー」を彷彿とさせる仕上がりでもある。さらに、自身が手がけた歌詞も、生涯歌い続けることを決意したかのような希望が溢れている。

そして、現在も浅香は歌い続ける。昨年末、渋谷PLEASURE PLEASUREで行ったライブ『LIVE 2023 〜Pika Pika☆Party Night〜』では、ヒット曲をメインにした華麗なセットリストで多くのファンを沸かせていたが、今も歌手活動を継続する浅香のモチベーションに大きく寄与しているのは、表現者として試行錯誤を重ねた “90年代” だったのではないか。

現在、各ストリーミングサービスでは、90年代にマイカルハミングバードよりリリースされたアルバムが視聴可能だ。「C-GIRL」や「セシル」だけでは語ることができない表現者・浅香唯の魅力をここで堪能して欲しい。

カタリベ: 本田隆

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