男社会に風穴、女性へエール 旧芦北町役場で課長、初の女性区長務めた白菊さん(78)退任 「自分の道、切り開いて」

 芦北町で初の女性区長となった白菊静子さん(78)が、4期8年の任期を終えて退任した。旧芦北町役場で初の女性課長を務め、男性優位の地域社会に風穴をあけてきた半生を振り返り、「強くしなやかに、自分の道を切り開いてほしい」と後に続く女性たちにエールを送る。

 地元の短大などを経て、23歳で旧湯浦町役場に入庁した。結婚後、32歳で2人目の子どもを出産。42日間の産休で職場復帰し、毎日、実家の母に子どもを預けて出勤した。

 直後のボーナス支給日。若手男性職員の会話が聞こえてきた。「おばさんたちはよかな。残業もせんのにオレたちより多くもらって」。当時、女性職員には「お茶くみやコピー、男性の手伝い」などの仕事しか与えられなかった。男性職員の言葉は白菊さんに向けられたものではなかったが、「私も年をとって、あんなことを言われたくない」と強く思ったという。

 早速、「私にも仕事を任せてください」と上司に直談判。渋々任せてもらったのが、農業の共済保険の業務だった。ただ満足な引き継ぎはなく、過去の資料を引っ張り出して電卓をたたき、掛け金は自力で算出した。「悔しさよりも、『やってやる』という気持ちが強かった」と振り返る。

 実績を残し、49歳で係長に昇進すると、佐敷城跡の整備と石垣の復元を任された。町のビッグプロジェクトだった。「発掘が始まると重要な遺物が次々と出てきた。メディアに取り上げられ、毎日が盆と正月のようだった」。56歳で社会教育課長に抜てきされた。

 白菊さんは、終戦直後の昭和20年9月生まれ。父が職を失い、貧しい幼少期を過ごした。夫婦げんかは絶えず、同級生で1人だけランドセルを買ってもらえなかった。「子どもたちの世代にはいい暮らしをしてほしい、いい世の中になってほしいという一心で、一生懸命仕事に打ち込んできた」という。

 その一方で学業への未練も残っていた。「四年制大学で学びたいという思いがずっと消えなかった」。定年を待たずに退職し、学芸員の資格を取るため熊本大に入学。さらに放送大学を経て熊本大大学院に進み、佐敷城の研究に励んだ。

 8年前から地元住民の要請で花岡東地区の区長になり、公民館の環境整備に尽力。「もう十分にやり切った」と3月末で退任した。

 女性の社会進出が広がり、職場環境も少しずつ改善されてきた。「職場でも家庭でも引っ込んどってはダメ。もっと活躍してほしい」。男社会で闘い続けた白菊さんの表情が和らいだ。(久保田尚之)

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