104匹もの猫を個人宅で保護する人も 屋根裏を合わせ5部屋で飼育 「猫のためにできることはないか」

今は亡き愛猫ジュテの遺影と遺骨を安置したタンスに座る(左から)そうせきとガトー【写真:峯田淳】

猫を家族の一員としてお迎えする方法として、保護猫の譲渡を選択する人が増えています。そうした保護猫をお世話し、行き場を失っている猫の命を守るため、積極的に行動している人たちが少なくありません。コラムニスト・峯田淳さんが、保護猫活動について連載する企画。今回は、個人宅で猫の保護活動を行う人物について綴っています。

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亡き愛猫ジュテを飼うきっかけにもなった元ご近所のCさんとの交流

猫とのつき合いは子どもの頃を別にすれば、以前住んでいた渋谷区内のマンションで飼っていたジュテが始まりです。東日本大震災が起きた11年3月末のことです。当初は猫を飼うことなど思いもしなかったのですが、連れ合いのゆっちゃんが買い物帰りに見つけた猫が、ついてきたのが最初の縁です。

「ジュテ」は飼い猫か野良か不明ですが、そのまま居ついてしまいました。それでも飼うか迷いました。その気なったのは同じ棟の1階に住んでいたCさんが野良猫を飼っていたことが理由です。「ウチも飼っちゃおうか」となったわけです。それからなし崩し的に飼い始め、今の一軒家には猫が3匹。

Cさんはマンションを引っ越していきましたが、つき合いは続き、旅行に出かけたときにジュテを預かってもらったほか、拙宅恒例の新年会にCさん夫婦や娘のKちゃんが来てくれるなど交流が続いています。

この3月、KちゃんからLINEが送られてきました。Kちゃんが以前、勤めていた会社の先輩・はっちさんの家で飼っている猫たちの様子でした。屋根裏部屋のようなところで、そっちでもこっちでも白、黒、茶の猫が気まま、我が物顔で歩いている動画です。コメントにも仰天です。

「猫を飼っている部屋は、これ以外にもあと4部屋あります」

さかなクンならギョギョッ、でしょう。

「猫屋敷? どうやって育てているの?」
「以前は会社の同僚とルームシェアしたときから保護猫を飼っていたけど、今は実家に戻って飼っています。費用は自分の収入で賄っているんです。デザイナーなので、今は在宅で仕事をしながら、面倒をみています」
「何匹いるの?」
「う~ん、正確にはわかりません、60匹、いや、もっとかな。100匹?」

もう一度、ギョギョ。

「里親さんも探していますよ」

こんなやり取りがあって連絡を取り合い、Kちゃんとお邪魔することになりました。

猫の家「はっち」(仮称)で一番の古株こなつちゃん【写真:峯田淳】

個人宅の2階が「104匹ニャンちゃん」の館に

横浜市内の住宅街に猫の家「はっち」(仮称)はありました。両親がいる1階と、屋根裏を合わせ2階に5、6部屋ある、瀟洒な造りの家です。2階ははっちさんの兄弟が独立してからは、はっちさんと猫たちの占有スペースになっています。「Cat Room Member」という猫の写真と名前が貼ってあるボードを見ながら、数えると104匹。そこは「101匹わんちゃん」ならぬ「104匹ニャンちゃん」の館でした。

部屋に入ると、闖入者を見た猫たちは警戒心満々でしたが、そこは猫の海! 一番の古株の「こなつ」ちゃんはすぐになれてデレデレ、膝に乗ったり、背中に這い上ったり……。

はっちさんが同僚とルームシェアしていた頃、Kちゃんが部屋を訪ねたことがありました。そのときは「6畳の部屋に9匹くらいか」と思ったそうですが……。

「それが違っていて、あのときも20匹いたの。全部、保護猫」とはっちさん。

「えっ? 私には見えていなかっただけなの?」

親しいはずのKちゃんはまたもびっくりです。

はっちさんの自宅で保護されている猫たちの一部【写真:峯田淳】

猫好きだったはっちさんですが、保護猫活動を始めるようになるきっかけがありました。16年の熊本地震です。

「猫のためにできることはないかと、熊本の避難所へ犬猫のボランティアとして参加しました。そのときに6匹、熊本から引き取り、そこからいろいろ相談もされました。それで20匹くらいになって。その中から里親さんのところにいく子がいて、新しい子が来ての繰り返し。そして、実家に帰ってきてから、こんなに増えました」

前回の熱海のNPOくすのきもそうですが、震災が起きたときの猫の保護は、とても大変ということが改めてわかります。

直近では元日に起きた能登半島地震です。はっちさんもKちゃんと車で8時間かけて、石川県まで出かけて行きました。家の一角には「出窓の部屋」があり、そこには能登から引き取った2匹が大きなケージの中にいました。

「飼い主さんが飼えなくなって手放した猫と野良です。保護しているのは現地で活動されている方です。現地には保護しなきゃいけない猫が1000匹くらいいるらしくて、シェルターの枠を空けるために県外の人に預かってもらえないかという打診があって、私も2匹引き取って連れてきました」

保護猫活動の苦労を垣間見る想いです。次回はどんなふうに104匹もの猫を育てているかについて。

峯田 淳(みねた・あつし)
コラムニスト。1959年、山形県生まれ。埼玉大学教養学部卒。フリーランスを経て、1989年、夕刊紙「日刊ゲンダイ」入社。芸能と公営競技の担当を兼任。芸能文化編集部長を経て編集委員。2019年に退社しフリーに。著書に「日刊ゲンダイ」での連載をまとめた「おふくろメシ」(編著、TWJ刊、2017年)、全国の競輪場を回った「令和元年 競輪全43場 旅打ちグルメ放浪記」(徳間書店刊、2019年)などに加え、ウェブメディアで「ウチの猫がガンになりました」ほか愛猫に関するコラム記事を執筆、「日刊ゲンダイ」で「前田吟『男はつらいよ』を語る」を連載中。

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