【達川光男連載#47】「バッターは石ころ」って投手にゲキ入れたら大杉勝男さんから一発&げんこつ

〝怒りの一撃〟を左翼席に放り込んだ大杉

【達川光男 人生珍プレー好プレー(47)】ここらで「ささやき」についても書いておきましょう。ネット上でもいろいろなエピソードが上がっています。間違った情報も含めてね。ただ正確に言うと、私のは「ささやき」ではなく「独り言」だったり、投手へのゲキや指示でした。最大の失敗でもある大打者への“失言”もそうです。

あれは忘れもしない1983年4月27日に神宮球場で行われたヤクルト戦でのこと。先発はルーキーだった前年に11勝6敗で新人王に輝いた津田恒美(後に恒実と改名)でした。2年目のスタートは4月17日の中日戦で6回途中4失点、同22日の大洋戦で6回2失点と波に乗れず、2試合に投げて白星なし。同27日のヤクルト戦でも、左脇腹痛などによる出遅れでこの日が同年の初スタメンだった4番の大杉勝男さんに初回一死一、二塁で先制3ランを浴びてしまいました。

チームは前夜に北別府学の完封で2引き分けを挟んでの連敗を6で止めたばかり。借金4から巻き返していくためにも、津田の奮起は欠かせません。いきなり3点のビハインドを背負ったといえど、まだ試合は始まったばかり。3回裏の先頭打者だった大杉さんが打席に入る前に、私は活を入れようと津田に声をかけました。

「バッターは石ころと一緒じゃけ、思い切って投げてこい!」

言い訳がましく聞こえるとは思いますが、先に真意を説明しておきましょう。東映(日拓、日本ハム)、ヤクルトで右の大砲として活躍し、この年に史上初の両リーグ1000安打を達成される大杉さんは打撃技術や長打力は健在でも足は速くありません。先頭打者とはいえ、仮に四球で歩かせても盗塁やヒットエンドランなど足を絡めて揺さぶられる心配もない。「石ころ」は「一つずつしか進塁できない」という意味で、試合前のミーティングなどでも普通に使っていました。

しかし、本人を前に言ってはいけませんよね。球界のレジェンドでもある大先輩に「石ころ」なんて、失礼にもほどがあります。普段は温厚な大杉さんが打席で鬼の形相になっていたことは言うまでもありません。前の打席では内角直球を運ばれたので、今度はカーブを要求したら見事に左翼席へ放り込まれてしまいました。

悠然とダイヤモンドを1周した大杉さんは、本塁を踏むと私の後頭部をげんこつでポカリ。もちろん軽くですよ。第3打席では三振を奪いましたが、第4打席でも中越えに二塁打されて2本塁打を含む3安打4打点。試合は6―6の引き分けに終わりましたが、痛い目に遭いました。「口は禍(わざわい)の元」とはよく言ったものです。

© 株式会社東京スポーツ新聞社