92年キング・カズ争奪戦 「あのとき、清水に行こうと考えたことはなかった なぜ?読売とは…」

渡辺社長(左)と握手するカズ(92年4月)

【多事蹴論85】スーパースター争奪戦のてん末とは――。1991年、93年開幕のJリーグに参加する加盟10クラブに清水FC(後の清水エスパルス)が選ばれた。「サッカー王国」の静岡県清水市(現静岡市)を本拠地とし「三羽がらす」と呼ばれた地元の名門・清水東高出身のFW長谷川健太、MF大榎克己、DF堀池巧や静岡学園高出身のMF三浦泰年が加入した。

“親会社”を持たない市民クラブとして注目を集めた清水は、静岡県出身で読売クラブ(後のヴェルディ川崎)に所属するカズことFW三浦知良の獲得にも乗り出した。実績のないクラブだけに象徴となるスター選手を欲し、兄の泰年はもちろん、運営会社の筆頭株主となったテレビ静岡や同局を支援する系列のフジテレビもカズ取りをサポート。各メディアも「カズ、清水移籍へ」と報じるほどだった。

清水による大攻勢が続き、移籍が有力視されていた92年4月22日、都内ホテルで行われた読売クラブの日本リーグ優勝祝賀会に“ナベツネ”こと読売新聞社の渡辺恒雄社長が出席。すると、多くのメディアが見守る中、あえてカズのもとに歩み寄ってガッチリと握手を交わし「三浦君、金はいくらでも出す。読売グループは貧乏じゃない。君が出ていったら読売クラブはおしまいだ。これからもウチで頑張ってくれ」と懇願した。

グループトップによる異例の残留要請に、カズは「読売に悪い印象を抱いたことはない」とし「金はいくらでも出す」と言われた条件面についても「向こう(清水)は例えば読売が2億出したなら、それ以上(の金額)を出すと言ってくる。これからの交渉次第だけど最低1億円は欲しい」と訴えた。野球界の盟主・巨人にまだ1億円プレーヤーがいなかっただけに破格の要求だった。

その後、両クラブとの交渉が続いたが、同年夏に呼称をヴェルディ川崎(読売ヴェルディ)に変更したクラブと推定年俸1億2000万円で再契約。同年秋にJリーグのプレ開幕となった第1回ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)でチームを初代王者に導くとともに自身も最優秀選手賞(MVP)に輝き、その人気を不動のものにした。

Jリーグ発足前にサッカー界を揺るがせた移籍騒動について、後にカズを直撃すると「あのとき、メディアではいろいろと書かれたけど、清水に行こうと考えたことはなかったね。なぜ? 読売とは環境面が全然違うから。クラブハウスもそうだし、練習場とか。サッカーに集中できると思っていたから」と告白。さらにゴールを量産するためのチーム力も残留の決め手だったという。

サッカー界では「カズがヴェルディにいたからJリーグは成功した」と語られるように、スター選手が人気チームで大活躍した“相乗効果”が大ブームのキッカケになったのは間違いない。
(敬称略)

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