全選手が「42」を着用するようになったきっかけはグリフィーJr.

MLBの全球団で背番号「42」が永久欠番となったのは、ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビューから50周年を迎えた1997年4月15日のことである。それから7年後の2004年4月15日には、毎年4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」とすることが定められた。しかし、現在の「ジャッキー・ロビンソン・デー」のように、全球団の全選手が背番号「42」のユニフォームを着用することが最初から決められていたわけではない。背番号「42」の着用が球界に広まったのは、1人のスーパースターのアイデアがきっかけだった。

1997年4月15日、当時マリナーズに所属していたケン・グリフィーJr.はロビンソンへの敬意を表すために、背番号を「24」から「42」に変更してプレーしたいと申し出た。それから10年後の2007年、レッズに在籍していたグリフィーJr.はロビンソンのデビュー60周年を記念して、再び背番号「42」を着用することを希望したが、このときはすでに「42」が全球団共通の永久欠番となっていたため、許可を得る必要があった。そこでグリフィーJr.は当時のバド・シーリグ・コミッショナーに連絡を取った。

「僕は『ジャッキー・ロビンソン・デーに背番号42を着用してもいいですか?』と尋ねたんだ」とグリフィーJr.は当時を回想する。「コミッショナーと10分くらい会話したと思う。彼は『レイチェル(=ロビンソンの妻)がOKと言えば問題ない。彼女に確認しても構わないか?』と言ってくれた」

シーリグはその翌日、グリフィーJr.に連絡し、背番号「42」の着用を許可することを通達した。さらに「キミだけではなく、希望者全員が背番号42を着用できるようにしたい」とグリフィーJr.に対して逆提案。グリフィーJr.は「着用する選手が多ければ多いほどいい」と返答し、その年と翌2008年は背番号「42」を着用することを希望した一部の選手だけがロビンソンの背番号でプレーすることになった。

そして、4月15日が「ジャッキー・ロビンソン・デー」に制定されてから5年後の2009年、シーリグは希望者だけでなく、全球団の全選手・監督・コーチなど、ユニフォームを着用するすべての人が背番号「42」を着用することに決めた。その伝統は現在まで受け継がれている。

グリフィーJr.は「こんなに大きなことになるとは思っていなかった」と話している。しかし、偉大な先人をリスペクトするグリフィーJr.のアイデアがあったからこそ、現在に至るまでMLBに関わるすべての人々がロビンソンの功績を忘れることなく、リスペクトし続けることができていると言っても過言ではないだろう。

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