インドネシア人、 南極の最高峰へ

南極大陸の最高峰ヴィンソン・マッシフ(4897メートル)に、インドネシア人が初登頂した。インドネシア人として初めて見た、南極で最も高い場所からの景色はどんなだったのだろう。遠征から帰った隊員たちにインタビューした。(写真はUNPAR自然愛好部提供)

2010年12月13日午後5時7分(現地時間)、南極大陸にある最高峰ヴィンソン・マッシフ(4897メートル)の頂上に、初めてインドネシア人が立った。

ソフヤン・アリフ・フェサさん(27)、ザヴェリス・フランスさん(23)、ブルーリー・アンドリュー・シホンビンさん(21)、ジャナタン・ギンティンさん(21)の4人。4人とも、バンドンにあるキリスト教系の私立大学、パラヒヤンガン大学(UNPAR)の学生で、自然愛好部(Mahitala)の部員だ。

自然愛好部は、日本の山岳部のように山登りだけではなく、ラフティング、ダイビングなども含めた多彩なアウトドア活動を楽しむ。UNPARの自然愛好部は1974年に設立され、OBとOGの数は900人を超える。現役部員は約80人。

UNPAR自然愛好部は現在、「7大陸最高峰登頂」という、4年越しのプロジェクトに挑んでいる。2009年、自国インドネシアの最高峰、パプア山(ジャヤ山を改名)のカルステンツピラミッド(4884メートル)登頂から開始し、2010年にはアフリカのキリマンジャロ(5895メートル)、ロシアのエルブルース(5642メートル)、南極のヴィンソン・マッシフに登頂した。南極から、そのままアルゼンチンに向かい、2011年1月にアコンカグア(6962メートル)に登頂した。残るは、2011年3~5月に登頂予定のエベレスト(8848メートル)、2012年5月に登頂予定のマッキンリー(6194メートル)の2山のみだ。

バンドンにあるUNPARを訪ねた。中庭では学生たちがギターを弾きながら歌っていたり、ノートパソコンを開いていたり。ごく普通のキャンパスの風景が広がる。自然愛好部の部室には、山の道具やラフティング用のボートなどが乱雑に置かれていた。立派なクラブというわけではなく、「みすぼらしい」といってもいい。とても7大陸最高峰登頂の偉業に挑んでいるとは思えない普通さ加減だ。え!ここから南極へ行ったの?と、驚いた。

ソフヤンとフランスの2人が、トレーニング(といってもその辺を走っていたように見える)から部室に戻り、インタビューに答えてくれた(あとの2人はまだ遠征から戻っていなかった)。ソフヤンはエネルギーを発散していて明るく、元気いっぱい。はにかんだような笑顔がいいフランスは、やや内省的。フランスは凍傷で右手の指をなくしていた。

――南極の第一印象は?

誰も人はいないし、木は1本もない。あるのは雪と氷だけ。どこからも遠く、遠く、離れた場所へ来た気がしました。一面、真っ白です。山も、上から下まで真っ白。青い氷の上に、かかとぐらいの深さまで雪が積もっています。雪は風で吹き飛ばされるので、それ以上の深さには積もりません。クリーンで、クリアで、静かな世界。とても、とても、とても、とても、とっても美しい。

――インドネシアとは180°違う世界ですね。そんなに人のいない世界は、寂しくはなかった?

ええ、たまにはいいですよ。とても静かで、とても良かったです。夜がなく、1日中、日が照っているのも不思議な体験でした。一面の雪に囲まれて、「自分はとてもちっぽけだ」と感じました。

――雪は初めてではなかったのですよね? それなのに感銘を受けた?

ヒマラヤの雪、パプアの雪、南極の雪、全部違うんですよ。インドネシア(パプア)の雪は汚いです。真っ白ではなくて灰色で、黒い小さな点々がある。微小な、ミクロな点なので、写真で見ても、あまりわからないかもしれませんが。近くにある鉱山からの汚染かもしれません。ヒマラヤの雪も、ヨーロッパの雪と同じで、そんなに白くはないです。灰色がかっています。それに比べて、南極の雪は真っ白で、ものすごくきれい。

――南極にいたのは全部で何日間ですか?

10日間です。登頂までの日数は、ベースキャンプからローキャンプ(Low camp)までが2日、ローキャンプからハイキャンプ(High camp)まで1日、ハイキャンプから頂上アタックしてハイキャンプに戻るまでが1日、ハイキャンプからベースキャンプまでの下りが1日でした。山頂までの往復は約15時間かかりました。ほかの日はベースキャンプにいて、霧が晴れるのを待つなど、待機していました。天気さえ良ければ、ヴィンソン・マッシフには3日で登れます。でも、やはり、天候が急に変わることも多いです。

――ベースキャンプでは、何を考えていましたか?

何も。ぼーっとしていました。座ってべちゃべちゃしゃべったり(ノンクロン)、コーヒーやウォッカを飲んだり。日本人のガイドと、そのガイドのお客さんの日本人登山家が一緒だったので、話をしたり。

――英語で話したんですか?

僕たちはスンダ語、日本人2人は日本語、それとボディランゲージもね。いや、ちゃんとコミュニケーションはできましたよ。

――南極に行く前に、雪山の訓練はどのようにしてやったのですか?

ソフヤンはヒマラヤに、フランスはキリマンジャロに登っています。2008年には、パプア山の調査を2カ月にわたって行い、2009年に登頂もしました。

――パプア山は、インドネシアで唯一の雪山ですよね。どんな山でしたか?

ずっと雪が降り、冷たい風が吹いています。ヒマラヤの雪はさらさらしているのですが、インドネシアは熱帯気候で気温が0~5℃ぐらいなので、雪がウエットで、すぐに溶ける。いつもびしょびしょに濡れている感じでした。尾根はノコギリの歯のようにやせていて、最後のアタックは崖を越えてロープを張らないといけないので、技術が要ります。挑戦している7最高峰のうち、マッキンリー、エベレスト、アコンカグアに続いて4番目に難しい山だと思います。

――ヴィンソン・マッシフは何番目ですか?

その次の5番目です。

――ヴィンソン・マッシフ登頂で難しかったことは何ですか?

気温がマイナス30℃で、とにかく寒いこと。トロピカルな体なもので。リチウム電池のヒーターを使っていました。足にもヒーター、手にもヒーター、体にもヒーター。日本人のガイドさんから、カイロももらいましたよ。日本の製品はとてもいいですね。8000メートル級の山で使うダウンのスーツがあり、ヴィンソン・マッシフでそれを着るのは普通の人は暑いそうですが、われわれはそのスーツを愛用していました。頂上で写真を撮ったら、たった5枚で電池が切れました。それぐらい寒い。その時はマイナス32℃で、風が吹くとマイナス40~45℃ぐらいでした。山としてはそれほど急峻ではないし、そんなに難しくはありません。

――難しくないなら、どうして、これまで登頂 するインドネシア人がいなかったのでしょう?

高価だからでしょうね。1人の費用が3万5000ドルかかります。われわれの場合、OBの会社がスポンサーになってくれ、費用を全額負担してくれました。7大陸最高峰登頂プロジェクトの費用すべてを負担してくれています。「愛国者」なんだと思います。

――初登頂した時に思ったことは?

とても幸せで、誇らしい気持ち。このことが皆を元気づけられたらいいと思いました。それから、寒い(笑)。「ご飯(nasi)が恋しい、ご飯を食べたい」とも思いました。

――食事はどんなものを食べていたのですか? ご飯ではなかった?

パン、パスタ、マッシュポテト、チョコレー トなどのスナック。ご飯を食べたのは3回だけです。ソフヤンの母親が作ってくれたルンダンを持って行ったので、登頂に成功してから、ベースキャンプで、ご飯とルンダンでお祝いしました。

――なぜ、ルンダン?

日持ちがするからです。そうだ、次のエベレストに登る時にも、ルンダンを持って行かないと!

――ほかに持って行ったインドネシアの食べ物はありますか?

クエ・ラピス、インドミー、バワン・ゴレン、サンバルです。

――次の山はエベレストですね。

はい、3月に出発します。

――不安はない?

いいえ。興奮しています。

――将来の夢は何ですか?

いろんな山に登ってみたい。インドネシアの山も登ってみたいです。これまではリンジャニ、パプア山しか登ったことがないので。

――なぜ山に登るんですか?

山に登るのが好きだからです。自然に感謝し、恵みを受けていると感じる……表現するのが難しいです。その場で、自分で感じるしかないです。

――これまでで一番印象的な山は?

やはりヴィンソン・マッシフですね。地球上で最南端の大陸へ行くなんて、考えたこともなかったです。孤独な世界で、まるで地球じゃないみたいでした。インドネシア人として初めて登頂しましたが、われわれが最後とならないことを願っています。(「南極星」2011年3月号掲載)

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