『寄生獣 -ザ・グレイ-』なぜ原作ファンに認められる結果に? シリーズのテーマを考察

日本の漫画家のなかでも一線を画した、鋭く知性的な作風で知られる岩明均による、大ヒット作品『寄生獣』。その映像化作品は、大胆なアレンジを施したアニメーションシリーズや、山崎貴監督による2部構成の実写映画などが、すでに発表されている。この度、韓国からNetflixの配信ドラマシリーズとして新たにリリースされたのが、『寄生獣 -ザ・グレイ-』である。

最近では、漫画原作の映像化の際、内容の改変について原作者との問題が起こったり、原作ファンの反発が見られるケースが目立ってきている。だが、『寄生獣 -ザ・グレイ-』については、原作をかなりアレンジした内容ながら、配信されるや、ファンからの好意的な意見が多く寄せられている。

ここでは、原作の設定やテーマを受け継ぎながらも、さまざまにオリジナリティが追加された本シリーズ『寄生獣 -ザ・グレイ-』について、なぜ原作ファンに認められるようなものになったか、そしてシリーズが表現しようとしたテーマが何だったのかを考えてみたい。

原作漫画『寄生獣』で描かれたのは、突如として地球に出現した、人間の頭を乗っ取り、人間を食糧とする謎の寄生生物(パラサイト)の行動と、脅威にさらされる人類との関係や戦いだった。寄生生物は、“宿主(やどぬし)”から人格を奪い、完全に支配した頭部の形態を自由に変化させることができ、細胞の組成を変えて触手の先端を硬質化、武器化して振るうことで、寄生されていない何人もの人間を瞬時に殺害するほどの戦闘力を持っている。

原作の主人公である、もともとは平凡な男子高校生だった泉新一は、右腕だけを寄生生物に乗っ取られることで、一つの肉体を、自分と、「ミギー」と名付けたパラサイトと共有する生活を余儀なくされることになる。新一とミギーはそれぞれの生存をかけて、互いに協力しながら降りかかる危機に向き合うのだ。

韓国のドラマシリーズ版である『寄生獣 -ザ・グレイ-』では、泉新一にあたる男子学生ではなく、スーパーマーケットで店員として働く女性、チョン・スイン(チョン・ソニ)が主人公となっている。体内をパラサイトの幼体に侵入されるも、頭部を乗っ取られる危機を回避したのは新一と同じだが、大きく異なるのは、その寄生部分が、顔の右半分を含めた箇所であること。

同時に意識を持ってミギーとの意思疎通ができる新一とは異なり、パラサイトが出現している間はスインの意識が奪われてしまうのである。まるで二重人格のように、スインからパラサイトへと、最大で15分ほどの間、人格が入れ替わることが可能なのだ。普段は隠れていることから、スインに寄生したパラサイトは、「Hyde(隠れる)」から転じて「ハイジ」と呼ばれるようになる。

パラサイトに身体を寄生されるだけでなく、スインは、子ども時代に父親からの激しい虐待を受けて生存の危機にさらされるも、自身で警察に助けを求めることで生き残ったという凄絶な過去を持つ。『ソウルメイト』(2023年)や、ドラマシリーズ『青春ウォルダム 運命を乗り越えて』に出演しているチョン・ソニは、現在まで大きく傷跡として残る過去に苦しみながら、それでも生きる希望を捨てず、まだ世界に期待を持っている、あたたかみのあるスインの役柄になりきっている。

そんなスインが「ハイジ」へと変貌する瞬間から、喜怒哀楽の感情を表に出さないパラサイトの演技へと移行される。顔の右半分が異様な動きを見せる特殊効果に加え、“クール”を超えた“無感情”へと変わるところも、大きな演技の見どころとなる。俳優はさまざまな感情の動きを伝えるため、顔の表情筋を繊細に操ることが基本的な技術となるが、それを封印したままで大きな役を演じることは、俳優にとってある種のチャレンジだといえよう。それは、パラサイトを演じた他の俳優にもいえることだ。

本シリーズの物語は、原作とは異なる展開を見せていく。原作ではパラサイトの存在が人類の一部に知られ、対抗策が講じられるまでに時間がかかったが、本シリーズでは当局が映像を入手することで、いち早く掃討作戦をスタート。特殊部隊「ザ・グレイ」が、パラサイト殲滅に燃えるチーム長のチェ・ジュンギョン(イ・ジョンヒョン) による指揮のもと、潜伏しているパラサイトたちを効率的に無力化していく。

パラサイト側は早くも劣勢に立たされるが、謎に包まれた宗教団体の指導者クォン牧師(イ・ヒョンギュン)はパラサイトを集めて、集団で協力し合うことで、逆に人類に対する策を講じようとする。本シリーズはこのように、人間の集団とパラサイトの集団の戦いが描かれるのだ。

原作漫画とは一風変わった趣向だが、『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年)を手がけ、近年ではNetflix配信作品で精力的に作品を発表しているヨン・サンホ監督は、本シリーズで大幅に改変した脚本の執筆を同時に務めるにあたり、講談社の担当者にアイデアを共有すると、原作者・岩明均からの快諾を得て、「ヨン・サンホ監督は 『寄生獣』のファンだから自由に撮ってほしい」という、ほとんど白紙委任とも受け取れるような言葉を伝えられたのだという。(※)これは、ヨン・サンホ監督のアイデアが秀逸だったともいえるし、原作者の映像化に際してのスタンスが影響しているともいえよう。

ヨン・サンホ監督の演出や脚本は、ユーモラスな方向も得意だといえるが、本シリーズにおいてはダークなテイストで捜査や頭脳戦を中心に描いたものになっている。全体がシリアスなトーンになったのは、近年の映画『ヴェノム』シリーズのような、同じ肉体を共有する主人公たちの漫才のような掛け合いが、本シリーズでは排除されたことが大きいだろう。

しかし、全体の雰囲気がほとんど別ものとなり、設定や物語の展開が大幅に変わったことで、むしろ原作ファンは見やすい内容になったともいえるのではないか。なぜなら、原作のようなストーリー展開をそのまま映像で再現してしまうと、原作との違いの一つひとつがむしろ際立ってしまうことになるからだ。名作として多くの読者に愛された内容だけに、そういう構造での作品づくりを捨てることにしたヨン・サンホ監督の選択は賢明だと感じられる。

とはいえ、そうなると逆に難しくなるのは、原作と比べられるだけの内容が求められるということだろう。とくに漫画『寄生獣』は、ストーリーの内容の深さ、知的かつ壮大なテーマへの評価が高い。ヨン・サンホ監督は、そんなハードルに果敢に挑戦したということなのだ。もちろん、ボリュームのある原作に比べ、6つのエピソードで構成される本シリーズでは、現時点でテーマの大きさ、深さともに原作にまでは及んではいないが、それでも限られた時間のなかで、原作の要素やテーマを上手くピックアップしながら、見応えのあるオリジナルストーリーを完成させているのである。

漫画原作の実写映画、ドラマ作品では、原作の名場面を再現するダイジェストのような内容になったり、表面的な表現に終始してしまう場合もあるが、優れた脚本の力、演出の力があれば、別個の作品として、むしろファンからも認められるものになり得る。この事実は、クリエイターの手法や製作の方針として、ぜひ日本の業界でも参考にしてほしいところだ。

さて、本シリーズで描かれるテーマとは何なのだろうか。その一つは、人類とパラサイトたちの生き方の違いだ。人間は社会性を持ち、互いに協力したり作業を分担することで、集団として大きな力を持ち、さまざまな危機や一つの目的に対して“群れ”としての効果的な取り組みをすることができる。パラサイトにしてみれば、一人ひとりの人間は難なく倒せるものの、大勢が考えながら対抗してくれば太刀打ちができないのである。

しかし、人間が社会性を持つ存在だからこそ、危うい点もある。それは、集団のトップといえる、政府や権力がひとたび暴走をしたとき、集団としての人間はおそろしい方向へと進んでしまうという部分だ。本シリーズでは、かつての戦争の英雄を讃えるイベントを市長が政治利用し、大統領選出馬への足掛かりを得ようとする展開も描かれ、そんな状況をパラサイトがさらに利用しようとする。

それは、本シリーズに限った問題ではない。現実においても、社会を構成する市民たちが、素朴な愛国心や偏見を利用されて、国家や自治体が誤った方向へと進み、最終的に悲劇を迎えるという流れは、歴史のなかで何度も何度も繰り返され、現在もさまざまな場所で継続されていることだ。本シリーズでは、パラサイトによる危機に対抗する人類の強さを描きながら、“群れ”であるからこその危険性をも暴き出しているのである。

では、そんな危険に対して、人類はどういう考えを持つべきなのか。それが、対立する存在同士の相互理解と“共生”だと考えられる。人間を捕食するパラサイトは、人類にとって確かに天敵のような存在だといえる。だが、パラサイトもまた人間同様に複雑な思考を持つことのできる存在であり、集団を作ることもできる以上、排除することにこだわって追いつめれば、危機に立たされた側は生存のために、どんな方法を使うか分からないのだ。

人類が真に平和を望むのであれば、パラサイトとの対立を解消し、何らかの方法で共生できる道を探るべきなのかもしれない。その希望となるのが、同じ身体を共有し、すでに“共生”を実践している存在である、スインと「ハイジ」だといえるのである。本シリーズは、現実の国家間の対立や、敵対する人間同士の関係を、パラサイトたちと人類との問題に結びつけている。

冒頭で原作同様に述べられ、暗示されているのは、地球の生物たちにとっての持続可能な環境が、人類に脅かされているという問題だ。自然破壊を繰り返し、互いを殺すために殺戮兵器すら使う人類は、果たして存続するだけの価値がある種なのかが、ここでも原作と同じく問われているのである。本シリーズ『寄生獣 -ザ・グレイ-』は、そこでもう一度立ち止まって、未来への生存の可能性を、新しく示したと言えるのではないだろうか。

岩明均作品といえば、同様の問題が描かれる『七夕の国』の日本のドラマシリーズが、今度はディズニープラスから、2024年7月から独占配信されることが明らかになっている。本シリーズと比べ、こちらはどのようなアプローチがとられることになるのだろうか。楽しみにしたい。

(文=小野寺系(k.onodera))

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